イクメンなんて死んでも口に出さないほうが良い

イクメンなんて口が避けても言ってはいけない。あなたがやったつもりになっている家事は他の人から見れば家事になっていない可能性はいくらでもある。そもそも、イクメンというのは他人が総称する言葉であって、自分から発言する言葉ではない。妻がいない状態で言うのは100歩譲っていいだろう。しかし、妻がいる前でその言葉を発するのは地雷を自分から踏みに行っているに過ぎない。

あなたがものすごく育児に協力していたとしても言ってはいけない。掃除、洗濯、炊事等、一般的に家事と呼ばれるものをすべてやっていたとしても言ってはいけない。自分が自由になる時間全てを子供のために注いていだとしても言ってはいけない。どれだけ努力をしてあなたが育児をしていたとしても、それを評価するのは所詮他人だ。あなたがやった全ての行いはもしかしたら全て妻の邪魔をしているのかもしれない。洗濯物のたたみ方が違うのにストレスを感じているが、せっかくやってくれているから文句を言わないでいてくれるのかもしれない。何が綺麗で何が汚いか、どういう家にしたいかは人によって違い、あなたが全てをやったとしてもそれは妻のやりたかったことを阻害している可能性はある。それを忘れてはいけない。

だからといって、何もやらなくていいという話ではない。自分がやれることはやるべきだし、やったほしいだろうなと思うことはやるべきだ。それは間違いない。しかし、それをひけらかすのは良くないということだ。あなたがやったことはひけらかして自慢できることではないかもしれないということをつねに頭においておいたほうが良い。一生懸命いろんなことをやったとしても、それは卓上の醤油を取ってくれたぐらいにしか相手は思っていないかもしれない。そこはどれだけ頑張っても相手にしかわからないことなのだ。笑顔でありがとうと言ってくれたかもしれないが、その裏にはもっとしっかりやれよ、この糞ボケが。という言葉が含まれているのかもしれない。そこを決して忘れてはいけない。

そう。自分がやっている育児は「当たり前」なのだ。それは他の人間もやっていることで自分がやっているのをすごいと思ってはいけないのだ。そこを念頭に置いていれば自然と「自分はイクメンだ」という言葉など出てこない。「自分はイクメンだ」などという世迷言が口に出てしまっているのであればよく考えるべきだ。本当に自分がやっていることを相手は全て感謝してくれているのかということを。妻の口から「いつも育児を手伝ってくれてありがとう」と言われるのを待ち続けながら育児に参加させてもらっているという気持ちを忘れずに生きていく。これが現代の夫に対して求められている考えだと思う。


ゲーム中の駆け引きはおもしろかった #プロパガンダゲーム

読んだ。綺麗にまとめました感が強かった。

ざっくりとしたあらすじを書くと、変わった入社試験の話になる。その変わった試験というのは、集団面接に集められた人間を政府側とレジスタンス側に分けて戦争をするかしないかについて市民を扇動する。先導した結果、戦争賛成が多ければ政府の勝利、戦争反対が多ければレジスタンスの勝利となる。巧みな心理戦を期待して読み始め、プロパガンダゲーム中は非常に盛り上がるので面白い。そう、ゲーム中は非常に面白かっただけにその後の話はもっと単純にまとめればよかったのではないかと思ってしまった。

戦争を扇動するという難しいテーマについては書いているだけあって、オチの付け方が非常に難しかったのだろう。現在、北朝鮮との緊張が高まっている現状、戦争という言葉が現実味を帯びているからこそ誰かが考えた仮想的な戦争についての討論というのは面白かったが、せっかく小説なのだからもうちょっとぶっ飛んだオチでも良かったのではないかと思ってしまう。問題提起をするのもいいだろうが、小説ぐらいもうちょっと気楽に読めたほうが楽しいんじゃないだろうか。

自分は「中の上」だと言っている理由

まず、自分が上位グループに属していると考えてみる。そうすると、性格上色んな人を見下してしまいそうな気がしている。今までの経験上、人を見下して会話をすると大抵良いことが起きない。ただでさえ人を見下している様に取られることが多い方なのでこれは良くない。自分が上にいすぎると考えると努力する必然性も感じることができないのがあまり良くない。なので、自分が上位グループに存在していると認識するのは意識的に避けている。

次に自分が下位グループに属していると考えてみる。そうなると努力する必然性も出てくる。しかし、下位グループにいるということは、足を引っ張っているということと変わらない。性格上、足を引っ張っているというのはあまり好きではないので努力をするのだろうが、どこまで努力をすれば下位グループから脱却できたのかという保証は何もない。努力し続けても何も結果が出なかった場合、自分の無能感に絶望し精神的にあまり良くない。わざわざ好き好んで挫折感を感じたくもないのでこれも避けている。

じゃあ、自分が中間だと考えてみるとどうだろう。これは結構いい線いっている。周りを見渡せば自分より出来る人もいれば出来ない人もいる。大抵どんなグループに属しても指標を変えれば出来ることと出来ないことが別れる。何かで負けていても別のところで勝っていれば自尊心を保てるし、上位グループに進むためにも努力する必然性はある。けれど、努力しなかったとしても真ん中にいるのだからしないならしくても良い。ただ、自分が中間だと考えると、自分ができることを出来ない人間というのは必然的に下位グループに属するということになる。自分ができることを人が当たり前にできると考えるのは危険なのでそう考えるようにはなりたくない。

こう考えていくと、自分は中の上にいると考えるのが精神的にも他の人に接するときにもちょうどいいバランスなんだと思っている。自分より出来ない人には優しく出来るし、自分よりできる人には強いリスペクトを持てる。適度に努力をしなければなず、努力しなくて精神的に追い詰められることもない。世の中絶対値で評価できることなど、なにかのテストぐらいで他の人間力や才能は感覚値でしかなく自分が勝手に判断するしか無い。だから適当に自分が居心地が良い場所を探して勝手に言ってれば良いんだろうと思う。

極楽だけに「毒」がないのが残念 #極楽プリズン

読んだ。あまり毒が無いなと思った。

あらすじをざっくり書くと飲み屋の与太話だと思う。初めて入ったバーでたまたま隣りに座った男の与太話が延々続くわけだけど、この男の離す内容があまりにも突拍子もなさすぎて思わず引き込まれてしまう。脱獄自由で何をするのも自由な刑務所なんて刑務所の話なんて普通は信用できないけど、酒の肴として聴くには非常に面白いと思うし、もし僕がたまたま入ったバーの隣に座った人が同じような話をしてきたら続きが気になってしまうだろう。そういった意味では現実味があり、はなしてることは現実味がないというバランスが良いと思う。

僕は木下半太という作家が好きで、この人が書いた作品は何個か読んでいるのだけど本作ではこの人特有の「毒」が非常に薄かった。この人は人間の毒をコミカルなシチュエーションと性格でオブラートに包むのが非常に上手く、僕が好きな理由もそこにある。しかし本作では出てくる人間は最終的にいい人しかいないし終わり方もきれいになっている。設定の妙と大きな仕掛けは相変わらず素晴らしいと思うが、「毒」が好きな僕からすると少し残念な作品だった。これを読むなら「悪夢のエレベーター」とか「鈴木ごっこ」とかの方が木下半太らしく面白いと思う。きれいな話が好きな人なら読んでみても損はしない作品だと思う。

不幸の預言書によるずれた運命の交錯 #共犯マジック

読んだ。予想と違うまとめ方だった。

この本のあらすじをざっくり書くとよく当たると評判の占い本に運命を狂わされた人間たちの話となる。本の運命が狂わされるという前提で話が進んでいくにも関わらず、別にそこまで運命狂わされてないじゃないかと思ってしまう。この本を手に取った予想としては、例えば「交通事故にあう」と予言された人間があの手この手を使って交通事故を回避しようとするが、その結果交通事故にあってしまうというような話かと思った。しかし内容はぜんぜん違う。最後に全てを集約させるために一つ一つの点を物語として記載し、その鍵として預言書をもってきている用に読めたので、預言書の絶対感が薄い。万能的な予言ではなく、巷に溢れているふわっとした予言と変わらないように読めてしまう。

僕がこの本を読み出すのは帯に記載された「あなたも知らずに共犯になる」という文言だった。しかし僕にはどこが共犯になるのかわからなかった。本を読んだからこそ微妙に運命がずれた結果の話が記載されているので、僕もこの本を読んだことによって本来進むべき道からずれてしまい、何らかの今日何になるのかもしれない。しかし僕にはそれは現時点ではわからないし起こった後もわからないのだろう。という感想ぐらいは出て来るが、読んだほうが良いかと言われるとそこまでおすすめはしない。読みたければ読めばいいと思うが、別の本を読んだほうが面白いんじゃないかと思う。

ループする法則が新しいループもの #七回死んだ男

読んだ。ループものとしては及第点は取っていると思う。

あらすじをざっくりいうとたまに1日を繰り返してしまう体質を持つ主人公がおじいさんが死んでしまうのを阻止する話となる。何をやっても死んでしまうおじいさんをあの手この手で阻止しようとする主人公の奔走は面白い。ループものは多々あるが、繰り返す回数が決まっていて8週目に行ったことが現実となるという設定も新しい。新しいと言いながらもこの話自体が古いのでこの話を見てからループものを書いている人のほうが多いのかもしれない。

最後にどんでん返しが!みたいな噂から読み出した本だったが読み終わった感想としてそこまでどんでん返しというわけでもないと思う。全てが終わった後に切れ者の僕が答え合わせをして読者にちゃんと説明するのは好意がもてるが、後日談は必要だったのかがよくわからない。やはりループものは終わり方が難しいのだろうか。若者が書いて書き終わったのに終わらせたくなくて書いちゃった感じがいなめない。

全体的にほんとしては読みやすくループものが好きな人なら読んで損は無いんじゃなかろうか。別にどんでん返しもないと思って先を予想せずに読み進めていけば楽しめると思う。しかも、作者のあとがきが3個乗っているというのがなかなか趣深い。

難しく考え出すと止まらない映画 #第9地区

見た。色々考えさせられた。

ざっくりあらすじを言うと「第9地区」と呼ばれる隔離された場所に宇宙人が共存している社会で宇宙人と人間との衝突を描いた作品になると思う。人間が爆発したり、腕が吹き飛ばされたり、嘔吐していたりと結構気持ち悪くて過激な描写が多いので苦手な人はきついと思う。全体的な流れはドキュメンタリー形式で進んでいきテンポよく進んでいくなかでテンポよく過激なシーンが含まれてくるので好みが別れるところではなかろうか。

この作品を作った人は人種差別の比喩として宇宙人を使ったのだろうか。第9地区というスラムのような場所で劣悪な環境に押し込められている宇宙人が昔の奴隷として使われていた黒人とダブってしょうがなかった。見た目が違うだけで人間は差別してしまうのに種別が違えばもっとひどくなる。言葉が通じて知能があれば人権が出てくると考えるとこの話はひどい話に取れるが、家畜や愛玩動物などと今作で出てくる宇宙人が同じだと考えれば差別などというわけではなく普通なのだろう。家畜と人間が同じ場所で生活させられていれば、人間を虐待していると思われかねない。分かれて生活するほうが普通なのだ。

差別とは環境や時代によって違い、未来の人間彼見れば僕らは野蛮人にうつるのかもしれない。平等はどこで線引するのか難しく非常にセンシティブなのだろうと思った。

大まかにうなずけて細かいところが気になる #革命のファンファーレ

読んだ。ちょっとだけファンファーレが鳴った気がした。

この本を手に取ったのは見城さんがひたすら褒めていたのでどれほどのものなのかと確かめてみようと思ったからだ。読んだ感想としては今まで色々な場所で西野さんが話していることがまとまっているだけであまり目新しい話はなかった。なので、西野さんの話をあまり聞いていない、知らない人にとっては面白い本になるだろうが、お騒がせ芸人として西野さんをウォッチしていた僕にとっては本として読むほどでもなかった印象だ。

この本に記載している内容はほぼ「煙突町のプペル」という絵本についての話になる。この本を作り始めるための構想、作り終わった後にどうやって売るのか、一旦売り上げの波が収まった時にどうやって盛り上げたか等々、「煙突町のプペル」を起点として西野さんの考え方、思考の流れをざっくりと書いた本になる。なので、この絵本という題材を各自が自分が立ち向かっていくべき敵へと置き換えて咀嚼する必要がある。僕が期待していたのは、「煙突町のプペル」の作り方を一般的な話に西野さんの頭で置き換えた話しだったのだがそういうことは書いていない。この本を書くのはすんなりと終わったとどこかで話していたが、題材を変えずに自分がいままで考えて来たことを書き出すだけなのだからすんなり書けたというのもうなずける。できればもうちょっと難産になるであろうことに挑戦してほしかったものだ。

ただ、この本は「あがった」人に向けている話になると思う。元2ch管理人のひろゆきさんが外国に住んでいる理由を「日本では下駄を履いた状態で色々なことが出来るため面白くないから」と語っていた。ひろゆきさんがなにかを発表した場合、それは一般人が発表した場合に比べて話題になりやすいし、会いたい有名人が出てきた場合にひろゆきさんは一般人よりもその人に会える可能性は高いだろう。この状態をひろゆきさんは「あがった」と表現していたのだが、西野さんはこのあがった状態体の人間なので一般人はその状態まで持っていくための努力を更にする必要がある。

なので、この本にかかれている「クラウドファンディングと芸能人は相性が悪い」というのは違うと思う。芸能人がクラウドファンディングをするのと一般人がクラウドファンディングをするのでは見てくれる母数が違う。つまり、この本でも書いている「著作権を破棄することで母数を増やす」というのと同じように最初から見てくれる母数が違うのだから書いていることは矛盾している。この本ではロンブーの敦さんが行っているクラウドファンディングの話を元に芸能人とクラウドファンディングの相性が悪いと書いているが、あれはただ単純に企画が悪い。調べると一軒しか出てこないのでそれのことを言っていると思うのだが、あんな案件を一般人が行ったら1万円も集まらないのではなかろうか。それを芸能人のパワーで400万まで引き上げたのだから相性が悪いわけではない。単純に企画が悪いだけだと思う。

この本を読むと突っ込みどころが多いが、その分ヒットを生み出すために色々なことを考えに考え抜いて「煙突町のプペル」という作品が出来上がったのだということがよく分かる。「神は細部に宿る」とよく言うが、西野さんのように最後まで考え抜いて考え抜かなければ人に物を届けるというのは難しいのだろう。西野さんは「煙突町のプペル」を書く前に何冊か本を出している。それを作った時は「これは100万部は売れるぞ!」と意気込んだにも関わらず、1万部しか売れなかったらしい。もちろん絵本で1万部も売れればベストセラーなのだが、思ったより売れなかった理由を考えた結果、ものを作るというのは作品ができあがることを言うのではなく、出来上がった作品がお客さんの手のもとに届いて初めて作品ができあがると定義してものづくりを始めることにしたのが「煙突町のプペル」なのだそうだ。

僕がこの本を読んで一番感銘をうけたのはこの部分だ。何かを作る人間にとって作り上げるまでが自分の領分だと思いがちだが、作り上げるだけでお客さんの手に届かなければそれは作ったものとしては価値がないし意味もない。お客さんの手に届いた時点で初めて作り上げたものは価値を持ち出来が経ったものとして認識されるのだろう。どうしてもものづくりをする人間は宣伝せずとも素晴らしいものを作れば勝手に人は手に取り勝手に広がっていくものだと考えがちだ。出来上がったものが広がらなかったのは出来上がったものが悪かったわけではなく、単純に表舞台に上がることすらできなかっただけかもしれない。まずは表舞台にあげる努力をしなければならず、そこまで含めてものづくりだと考えて作業するべきなのだろう。

!!var じゃ、StringからBooleanにはなりません

StringからBooleanにする方法をぐぐると、 !!varStr とか引っかかるけど、これやるとどれでも true にありますのでやめましょう。

文字列比較するのが一番良いですが、booleanが渡ってきてもいいように一応toString()しておくと良いと思います。

   var varBoolean = varStr.toString() === "true";

こちらからは以上です。

自分の「あたりまえ」を他人はあまりやってくれない

僕は何かしらの契約をする時に、やりとりをメールでお願いしている。理由はエビデンスを残すためだ。言った言わないを言い出すのは非常に不毛だし、どういう予定だったのかを見返すにもメールのほうが便利だ。職業柄メール文化に慣れているのでちょっとした質問ならすぐに返ってくるだろうと思ってメールするのだけれど、返答がすぐに帰ってくる人間は非常に少ない。悪いときだと「あなたのお名前はなんといいますか?」ぐらいの質問をしても丸2日待たされることもある。営業という職業柄、電話でのやり取りに慣れているというのもあるのだろうが、それにしても常識的に考えて返答が遅すぎるのではないかと思ってしまう。

また別のケースだと、メールで連絡しても電話で返ってくる時がある。堀江さんではないが、電話してくるなよと思いながらも出て話をした後に、「今話した内容を忘れると嫌なのでメールで送っておいてください」と言うのだけれどこれが守られることがほぼ無い。向こうとしても、客と言った言わないで揉める要因を減らすという利点があるはずなのにやってくれない。1日ぐらいたってから、やんわりと指摘すると、さも今作っていましたと言わんばかりのメールが返答されてしばらくしてからメールが来る。絶対忘れていたか、やりたくないから有耶無耶にしようとしていただろうと内心は思うわけだけれどそんなことは言わない。

僕の中で、連絡が来たら連絡を返すというのは「あたりまえ」だし、返答は早ければ早いほど相手の心象は良くなるだろうから、もし僕が営業だったら連絡をすぐにかえすというのは必須でやらなければならないと考えるだろう。しかしこの「あたりまえ」と思っていることをやってくる営業はかなり少ない。というか今まで接した営業は誰ひとりとしていない。これは僕の「あたりまえ」のレベルが高いからなのか、それとも「あたりまえ」を出来る人間が世の中には少ないのか非常に難しい。

別に結論はないわけだけど、相手が書いてきたメールの意味がわからなかったので「こういう意味ですか?」と質問したメールの返答が1日たっても帰ってこないのでイライラしてこの文章を書いている。自分の「あたりまえ」を人に押し付けるのは良くないと思うが何か調べ物をするわけでもなく、自分が作る出した文章の意味を問うているのに返答にそれだけ時間がかかる意味がわからない。「はい」か「いいえ」だけでいいのにどこにそんな時間がかかるのだろう。もしかしたら放置プレイをされているのかもしれないが、相手はまだあっていないためきったないおっさんの可能性も否定できない。というかその可能性のほうが高いのだろう。僕は少なからず残っているであろう、いまやり取りしている相手が石原さとみという可能性を想像しながら放置プレイに耐えてみようと思う。