複数のFlowableで全ての更新通知で全ての値を結合する

結論を先に書くと Flowable.combineLatest を使うと良い

flatMapで結合

こうすると、onNextが流れるたびにobserveされる物が増えていくためintProcessorで流れてきた回数strProcessorが出力されることになる。一応目的は果たして入るが、同じ値が複数流れてくるので非常に効率が悪い。

combineLatestで結合

こうすると、どちらかのonNextが流れてきたときに、他の最新データを使って結合することができる。これがやりたかったこと。

息を潜めて機会を待つ #働き方完全無双

読んだ。面白かった。

この本を読んで僕が一番感じたのは「息を潜めろ」ってことだ。情報のアンテナを広く保ちつつ、元でがかからず面白そうだと思えたものに関してはとりあえず手を伸ばし、もし自分が続けることができそうであればお金が儲からなくても続ける。そうすればそのうちにどれか一つぐらいがあたって生活ができるようになるかもしれないし、できなかったにしても元手があまりかかっていないのだからリスクはほぼ無い。息を潜めて耐えるというとつらそうだが、好き勝手なことをしつつ、好きなことが当たるのを待つという生活は面白いのかもしれない。

僕が感じる西村博之という人間は非常に優しい。この人の根底には「皆が飢えずにのんびり生活できて、それなりに楽しくそれなりに生きていける世界」があるんだと思う。下にいる人間を見下ろして幸せを感じる相対的な幸せではなく、何かお金を書けずに楽しむことが出来る趣味を見つけて人と比較することもなく自分が楽しく生きていける世界が良いのだろう。この本にも書いてある、ベーシックインカムでゆるくのんびりと足るを知り生きていく世界は良い気がする。

ただ、西村博之という人間はものすごくストイックで自分を律する力があるからこそ実践できる生き方であるような気もする。僕の周りの人間は大根一本を1日食べ続けるとか出来ないし、ソシャゲのログインボーナスをもらうためだけにアプリを起動したり、無料の時間帯でゲームをするために早起きしたりはしない。美味しいものを食べたければものすごくお腹空いていればなんでも美味しく感じるから極限まで植えればいいという結論は出ないし、痩せたいのであれば食べる量を減らすのは難しいから食べる回数を減らせばいいとかできない。自分を律し、足るを知っている人間になれば完全無双できるのかもしれないが、常人には難しいのかもしれない。

サイコパスが考える予想できない結末 #死刑にいたる病

読んだ。非常に面白かった。

この本のあらすじをざっと書くと、連続殺人犯が自分がやっていないと主張する殺人を主人公が調査する話となる。昔神童と呼ばれていたが、今では見る影もないぐらい落ちぶれた主人公が、幼いころに知り合いだった連続殺人犯を調べていきながら少しづつ成長していく様や、連続殺人犯はなぜ連続殺人犯として成長したのかという理由付けなど非常に面白く読めた。サイコパスと呼ばれる人間は生まれながらにサイコパスなのか、それとも成長する過程がサイコパスにさせるのか、それともその両方が必要になるのか。この本を読んでも深く分かることはないが、少しのズレが重なっていくことでサイコパスは出来上がり、もしかしたら自分の延長上にもサイコパスという人間は存在するのかもしれないと考えさせるだけの力と文章力を感じた。

この本の本領は怒涛のラストの追い込みだと思う。死刑囚が自分の罪について調べてくれという文章はよくある。面会という情報が多少しか与えられない状況と、その他生の情報からなんとか真実に辿り着こうと奔走する姿がわかりやすいからだろうが、結構設定が甘いときが多いわけだが、この本は違う。読み終わった後の設定の納得感と全てが綺麗にはまる構成はすごい。すごくきれいにジグソーパズルが完成下にもかかわらず、非常に後味の悪い読了後の感情は一度読んで味わってみてほしい。

売るために書かれたミステリー #透明カメレオン

読んだ。あまり好みではなかった

あらすじをざっと書くと、声が良くて顔が悪いラジオDJと行きつけのバーの人たちが突如現れた女に振り回される話になる。突如現れた女は主人公がとっさについてしまった嘘を弱みとして色々な不可解なことをやっていく。振り回されながらも女に恋心をいだいていく主人公という構成が少女漫画っぽくて、最近の時流を読んでいる作品に仕上げているんだろうなと思った。最後に突如として出てくる感動させるためだけの話なんかもふくめて最近よくある話だなと思う。

ミステリーをミステリーとして書いている作品で、伏線を伏線らしく入れていき、それを隠すためなのか長々と文章を書き連ねている印象を受ける。コミカルでユーモラスな人物像が好きな人には非常にハマる作品だと思うが、僕にはあまりはまらなかった。読みたい人は読めば良いのかなと思うが、道尾秀介の作品としては僕はあまりおすすめしない。

物質とデータが混在する現代は稀有な時代なのだろう

物を作ってる側からすると「なんでも無料でもらえると思うなんてけしからん」と脊髄反射してしまいがちだけど、これは過渡期だからそう考えてしまうだけかもしれない。そもそも電子書籍や電子ゲームなど仮想的にしか存在しない者に対して、物質と同じ値段を付けて販売するというのはどう考えてもおかしい。コンテンツを作るためには同じぐらいのお金がかかると言っているが、どう考えても電子データのほうがコストは安い。流通コストはなくなるし、保管するための倉庫もいらないし、販売するためのコストもいらないし、印刷するためのコストもいらないのだから、物質と同じ値段でしか作れないと言われても眉唾だと考えてしまいがちだ。

しかし、そんな簡単な話でもない。今は過渡期だから物質の販売と電子的なデータの販売の両方を行っているところがほとんどだ。なので、物を作るのは0に出来ているわけではなくて、物を作って販売するまでのルートは残しておく必要がある。0から1を作るコストは非常に大きいが、1を100にするのは既に出来上がっているルートに流れる量が変わるだけだからそこまで変わらないのだろう。ということで、両方が流通している現状のコストはあまり変わっておらず、電子媒体だろうが物を販売していようが同じ値段で販売しないと採算が取れないのだろう。そう。中間業者がまるまる搾取してウッハウハとかいう単純な話ではきっとないのだ。

すべての物は電子化していくことはほぼ間違いない。本であれ音楽であれ物質はなくなりデータが重要になる。音楽などは昔からデータを物に転送するのを個人でやっていたので電子化はスムーズに進んでる。しかし、本は物を個人で作るノウハウはなく、まだまだ時間がかかりそうだ。だが、電子データを持っていくと製本してくれるサービスが出来上がれば、誰もが電子データを買うようになるだろうし、コンビニとかがそのうちサービスとして始めそうな気がしている。物を個人が作れるようになる、つまり質の良い3Dプリンタが各個人が持つような未来が来れば、必然的に電子データを買えば物が手に入るようになり、ここまでくれば物と電子データの境目は非常に曖昧になるだろう。つまり、現状の物と電子データの両方を販売しているのは非常に過渡的な状態なのだ。

全てが電子データで販売できるようになれば物流のコストがなくなりコストは劇的に下がる。そうなれば、広告モデルで十分元がとれるようになるかもしれないし、定額サービスで全てがまかなえるようになるのかもしれない。もしかしたら、全ての創作物は一つのマーケット上に並び、そこが何らかの方法で稼いだ金を分配し、全てが無料で手に入れる時代が来るかもしれない。そのような未来では、今のように爆発的に稼いでいるクリエイターが1人とその他大勢という構造から、爆発的に稼ぐ人間はいないけれど、全員が満遍なく稼げるようになる時代が来るのだろう。誰もが稼げるけど誰も稼げないという世界が良いのか悪いのかわからないが、好きなことをして生きていける確率は今よりも高そうだ。なんとなく今の世界よりも好きなことをしながら誰もが生きるのに困らない程度は稼げていそうなので、物を作って生活している人間としては複雑だけどそんな未来が来ると良いなとは思う。きっと未来はそんなに暗くはない。

誰かのために何かをして安易に感謝を求めるのは健全じゃないと思う

僕は「ママがおばけになっちゃった!」を最初に読んだ時に、非常に不快でこの本を子供には読ませたくないと思った。なぜかというと、「お母さんがいなくなったらどれだけ大変か」というのを語って、子供がお母さんに対して感謝をする以外の選択肢をなくした状態の本だと思ったからだ。感謝というのは相手に強いるものではないし、感謝しか言葉がでないものを相手に渡すのは好きではない。同じような理由で「1/2成人式」というのも嫌いだ。かろうじて許せるのは結婚式の時に読む「親への手紙」ぐらいだろうか。一応、結婚式は自分のためにするものであるし、その時に読む手紙も自分が書くものであって、結果はわかりきっているであろうが自発的に動いているから許せるのだと思う。「子供は親に感謝するものだ」というのは親のエゴでしか無いということを理解せずに、簡単に感謝の言葉を聴けるであろう歌や本を渡すのはいかがなものかと思う。

ちょうどよいタイミングで朝井リョウが「安易に感謝の言葉を求める人間」というのを言語化していた。

朝井:それは夫婦とか関係なく、人と人との関係全部に言えることだと思うんですけど、例えばAKBで総選挙っていうものがあるとして、応援するときに私は「あの子のために」っていう風に自分の考えや人生を誰かに預けるってことをした途端に、人間の関係は不健康なものになると思っていて。

朝井:自分が、「あなたのことを大切に思っている気持ちを表すために、料理を作った。」ってなると、そのあと何か裏切られるようなことがあったとしても、「自分の気持ちを表現するために料理を作ったん“だから”」って。

これはすごくいい指摘だと僕は思っている。多分、「ママがおばけになっちゃった!」もそうだし、「あたしおかあさんだから」もそうだけれど、お母さんが子供の「ため」に行動しているという視点で書かれているから僕は嫌悪感を持ってしまっているんだと思う。お母さんも人間なのだから自分の楽しみもちゃんとやるし、子供の「ため」だけにやっていることなんて無い。子供のことをやっていることは自分のためだったりもして、そのへんは非常に紙一重だったりする。例えば、自分の服は適当に済ませて子供には良い服を着せたりするんだけど、それは我慢して子供に買ってあげてるわけじゃなくて、子供に可愛い服を着せたいという楽しみの一面だったりもする。自分の服を買うことよりも子供の服を買ったほうが楽しいし幸せだからやっていることなのかもしれないわけだ。なのに全てを子供の「ため」にやっている行動だと言い続けて、相手から何かの返答を求めるのは人間的だけどあまり健全な考え方ではないんだと思う。

感謝なんて強要するものじゃない。自分がやっている行動は自分がやりたいからやっていて、その動機が相手の喜びであるのかもしれない。結果として相手から感謝をもらえるのかもしれないが、相手から感謝してもらわれるために行動するとろくなことはおきない。このことを心に留めながら生きていったほうが病みにくいじゃないのかなと僕は思っている。

前フリがないシモネタは品格を疑われるものですよね

「誰か」を名指しして侮辱するならその「誰か」は起こる権利はあるだろうが、不特定多数に対して言っていることに対して侮辱していることについてセクハラだろって言い出すと世の中を生きづらくしているだけにしか思えない。例えば、酒飲んでる時に童貞の話をして盛り上がっている女性の席があるとして、その席に童貞の男が乗り込んでいって「お前らの話で俺は傷ついた。謝れ」って言ったとしても、女性は謝らないだろうし世間一般的に言えば男性側がセクハラされたとは擁護してくれないだろう。

童貞いじりとかもそうだけれど、基本的になにかをいじるネタというのはTPOが大事であって、笑いがおきるかどうかっていうのは場が非常に大事だと思っている。童貞を馬鹿にしてはいけない状況で童貞を馬鹿にすれば笑いは置きないし、貧乳を馬鹿にしてはいけない状況で貧乳を馬鹿にしても笑いはおきない。前に話した時は大爆笑をかっさらった鉄板の下ネタであったとしても、場が変われば全く笑いが起きないどころか軽蔑の目で見られることもあるだろう。だから芸人は場を作るために前フリをして、その時と同じ状況を作っているのだ。その入念な前フリが出来ない状況で、誰かをいじって死ぬほど軽蔑されて笑い話だと思ったと言っても、それを理解してもらうのは難しいだろう。

そして、インターネットは場の共有が出来ないのだ。空気の共有に非常に向いていないのだ。その場ではグループ内で共有できていたであろう前フリがある前提で書いている文章を、全く前フリを知らない人間が見て軽蔑されるのだ。そして、軽蔑を通り越して侮辱されたと怒り出す人間が出てくるんだ。はあちゅうさんの状況ってこれだと思っている。前フリをちゃんと出来ない状況でのいじりが全員に理解されるなんてほぼ不可能で、それを公衆の面前で言う人間は軽蔑されてもしょうがないのだよ。家の中で酒を飲んでいる時に童貞の話をしたら面白いだろうが、重要な会議の最中に童貞の話をしたら頭がオカシイんじゃないかと思われるだろう。TPOって大事なんだよ。

ただし、その前提を踏まえたとしても、直接的に言われたセクハラと、不特定多数に対して言っているセクハラを同一で語るのは非常に微妙だと思うんだよね。「お前が言うな」は非常にわかるけど、「お前がやってることはお前がやられたことと同じだろ」っていうのは違うと思う。嫌ならば見なければいいというのが通用する状態と、嫌でも見なければいけない状態でやられることは違う。不特定多数に対して行われるセクハラは品格が疑われるが、直接的に行うセクハラは人格を疑われる。グレーというか、限りなく白に近い黒な話と真っ黒な話を同じ土俵で離すのはちょっと違うと思っていて、限りなく白に近い黒だと思われる、不特定多数に対して発せられる、前提を共用している状況で笑い話になる「いじり」ぐらいは許容しないと世の中生きづらくなってしょうがないんじゃなかろうか。

セキュリティの入門本なのだろうか #スマホを落としただけなのに

読んだ。面白かった。

ざっくりとあらすじを書くと彼氏が落としたスマホを連続殺人犯が拾ってしまい、そのせいで彼女が狙われてしまう話となる。犯人はあの手この手で彼女の情報を取得していくわけだけれど、その手口が非常に具体的でよく調べてるなと思った。やろうと思えば出来るだろうなと思われることが非常に多くて、SNSを使用したソーシャルハッキングとかよく調べてるなという印象。ただ、そこが非常に上手く出来ているせいか、内容よりもそちらに目が向いてしまったのが悲しい。職業柄、プログラミングやハッキング手法などが出てくると、それが実現可能なのかを頭で考えてしまうのだが、そんなことを考えない人であれば楽しく読めるんじゃなかろうか。

しかし、最後に出てくる裏設定は必要だったのか?その感動を作るためだけに出てくる設定がかなり気になった。突如出てきて、「ほら、いい話でしょ」と言われても僕は全然感動できなかった。結末が難しすぎてしょうがなく入れたのかもしれないが、よくわからなかった。全体的に話の流れもわかりやすくテンポも良いので読みやすいと思うので、SNSの怖さ、ハッキングの怖さ、インターネットの怖さをわかりたい人は読んでみると良いと思う。話の内容は特にこれといって、だが勉強のために読むのは良いと思う。

イクメンなんて死んでも口に出さないほうが良い

イクメンなんて口が避けても言ってはいけない。あなたがやったつもりになっている家事は他の人から見れば家事になっていない可能性はいくらでもある。そもそも、イクメンというのは他人が総称する言葉であって、自分から発言する言葉ではない。妻がいない状態で言うのは100歩譲っていいだろう。しかし、妻がいる前でその言葉を発するのは地雷を自分から踏みに行っているに過ぎない。

あなたがものすごく育児に協力していたとしても言ってはいけない。掃除、洗濯、炊事等、一般的に家事と呼ばれるものをすべてやっていたとしても言ってはいけない。自分が自由になる時間全てを子供のために注いていだとしても言ってはいけない。どれだけ努力をしてあなたが育児をしていたとしても、それを評価するのは所詮他人だ。あなたがやった全ての行いはもしかしたら全て妻の邪魔をしているのかもしれない。洗濯物のたたみ方が違うのにストレスを感じているが、せっかくやってくれているから文句を言わないでいてくれるのかもしれない。何が綺麗で何が汚いか、どういう家にしたいかは人によって違い、あなたが全てをやったとしてもそれは妻のやりたかったことを阻害している可能性はある。それを忘れてはいけない。

だからといって、何もやらなくていいという話ではない。自分がやれることはやるべきだし、やったほしいだろうなと思うことはやるべきだ。それは間違いない。しかし、それをひけらかすのは良くないということだ。あなたがやったことはひけらかして自慢できることではないかもしれないということをつねに頭においておいたほうが良い。一生懸命いろんなことをやったとしても、それは卓上の醤油を取ってくれたぐらいにしか相手は思っていないかもしれない。そこはどれだけ頑張っても相手にしかわからないことなのだ。笑顔でありがとうと言ってくれたかもしれないが、その裏にはもっとしっかりやれよ、この糞ボケが。という言葉が含まれているのかもしれない。そこを決して忘れてはいけない。

そう。自分がやっている育児は「当たり前」なのだ。それは他の人間もやっていることで自分がやっているのをすごいと思ってはいけないのだ。そこを念頭に置いていれば自然と「自分はイクメンだ」という言葉など出てこない。「自分はイクメンだ」などという世迷言が口に出てしまっているのであればよく考えるべきだ。本当に自分がやっていることを相手は全て感謝してくれているのかということを。妻の口から「いつも育児を手伝ってくれてありがとう」と言われるのを待ち続けながら育児に参加させてもらっているという気持ちを忘れずに生きていく。これが現代の夫に対して求められている考えだと思う。


ゲーム中の駆け引きはおもしろかった #プロパガンダゲーム

読んだ。綺麗にまとめました感が強かった。

ざっくりとしたあらすじを書くと、変わった入社試験の話になる。その変わった試験というのは、集団面接に集められた人間を政府側とレジスタンス側に分けて戦争をするかしないかについて市民を扇動する。先導した結果、戦争賛成が多ければ政府の勝利、戦争反対が多ければレジスタンスの勝利となる。巧みな心理戦を期待して読み始め、プロパガンダゲーム中は非常に盛り上がるので面白い。そう、ゲーム中は非常に面白かっただけにその後の話はもっと単純にまとめればよかったのではないかと思ってしまった。

戦争を扇動するという難しいテーマについては書いているだけあって、オチの付け方が非常に難しかったのだろう。現在、北朝鮮との緊張が高まっている現状、戦争という言葉が現実味を帯びているからこそ誰かが考えた仮想的な戦争についての討論というのは面白かったが、せっかく小説なのだからもうちょっとぶっ飛んだオチでも良かったのではないかと思ってしまう。問題提起をするのもいいだろうが、小説ぐらいもうちょっと気楽に読めたほうが楽しいんじゃないだろうか。