見守り続けても手を出しすぎても最終的に自分が死ぬ

なんか似たような話がFBでぽこぽこと連続して上がってきたのでなんとなく書いてみる。「経営者」と言われると自分と全く関係ない話として読めてしまうけど、「老害」と考えて読むとちょっと見え方が変わってくると思う。

プレイヤーは年をとるほどに自分がやってきたことが経験として積み上がっていて、なまじ知識があるがゆえに色々口を出したくなったりするし、自分で作業した方がうまくいくし早く終わると考えてやってしまいがちだよね。でも、その行動がプロジェクトを円滑に回すためであったり、プロジェクトの道筋を律するために必要な行動でなければ、それは自分のエゴでやってるだけの作業だと思う。もし自分のエゴだけで口を出したりしているのであればそれは「クソジーコ」だし「老害」なんだよね。

じゃあ、「老害」と呼ばれないように口を出さずに見守り続ければいいのかというとそれも違うと思う。

普通の人間は年をとるほどにやれることは多くなっていくし、自分の作業を明確に指示してくる人は少なくなっていくよね。自分の作業に自由が効く代わりに責任は重くなっていくのが一般的だと思う。「別の人がやっているから監督として見守るべきだ」という判断をするのは自由なんだけど、自分が組織貢献をする上で「作業を見守る」というのが最有力の行動なのかは考えるべきだよね。「見守る」というか「作業指示を出す」ことが一番組織貢献をする上で大事なのであればそうやればいいんだろうけど、何も言わなくてもやってくれる人間というのは少なからずいて、その人間に「作業指示を出す」ことに労力を使うぐらいなら自分ができる別の作業をしたほうが組織貢献はできると思うんだよ。

指示を出し過ぎたり、任せて良い作業をやり過ぎたりすればその人は「老害」になるし「クソジーコ」になるんだと思う。けど、見守り続けていれば自分の力を発揮する場所がどんどん減っていって最終的に全く使えない人間になる。見守ったり指示を出したりしながら自分しかできなくて組織がうまくいくためにできることを見つけ出してやっていくことが年を取れば取るほど求められて来るんだろうなぁと思ってしまう今日このごろです。

PV至上主義っていい加減やめてほしくない?

あれって使ってる側としては何もいいことないよね。

確かにすごくわかりやすい評価だよね。目に見えて何回広告が表示されましたとか言いやすいし指標として分かりやすさは抜群。でもユーザが求めてるのって使いやすさとか表示速度の速さとかそっちじゃないですか。無料サービスとして使わせてもらってる立場で文句をいうのはなんだけど、このPV至上主義のせいでページを無駄に分割してるサイトが多すぎると思うんだよね。特にスマホ関連のサイトの無駄な分割っぷりったらありゃしない。画面が小さいってことと、回線が遅いってことを言い訳にしてるんだろうけど、たかだか文字を数百文字読み込んだところで1画像と転送量は変わらないんだからそんなねーだろってなる。

読み込み直したら新しい広告が出るから押し直すかもしれないじゃないとかそういう考え方もあるのかもしれないけどさ、次のページに行っても同じ広告とか出てる時があるわけでそれ全く意味が無いと思うんだよね。広告を出している側にしても見られもしないものに対してお金を払いたくないだろうし、ページを見に来ているユーザにとっても無駄な画面遷移が増えて読み込みの時間にいらいらするだけじゃない。まぁ、言ってもこっちはお金を払わずに見させてもらっている立場なんだから強く言えるわけないんだけど、最近は本当に無駄に記事を分割しているサイトが多すぎてめんどくさくなるんだよね。

もういっそのこと広告業者が同じIPから~秒以内にアクセスされた場合1PVとして数えます!みたいに宣言してくれれば無駄なページ遷移が減ると思うんだよなー。PV数は減るけどそのかわり1PVの重み付けは前よりも重くすれば別にWebページを作っている側も問題ないわけじゃない。どうせ入ってくるお金は一緒なんだったら使う人のことを考えて一回でもうちょっと文字を読み込んだほうがいいよなーって思ってくれるかもしれないわけじゃない。そうなってくれればもっと快適なネット環境になりそうだなというただの妄想。

僕がよく見るサイトとかが文字が多いサイトだから言えるだけのことで画像とか多いサイトだったら分割しないといけないんだろうし、広告出してる人も馬鹿じゃないから分割したほうがクリック率が上がるとかそういう統計的なものを調べてるんだろうけどね。ふと思ったから書いてみただけで特に落ちはない。

プロセスにこだわるのは悪なのか?

例えば彼女を作りたいって考えたとする。彼女を作るために多くの人と出会ったほうが確率が高いと考えて合コンに明け暮れる。もしくは一人に絞ったほうがいいから誰か一人に全ての時間を費やしたほうがいいと考えて一人の人に時間をかける。目標は同じであってもアプローチの仕方が全然違う。どっちが正解かはやってみなければ分からない。けど、目標に至るまでのプロセスをすごく考えてしまって、これをやるぐらいならこっちをやったほうが効果が上がるのではないか?とかいうことをよく考える。

目標に向かっているという事実はどちらも変わりない。けど両方を取ることはできない。多くの人と会う時間を作るということは一人の人と会う時間が少なくなるということだし、一人の人に時間を使うということは多くの人と会う機会を減らいているということだ。それじゃあどっちに進めばいいの?って迷ったり考えたりする。どちらかの手段を選んだからといって、その一方しか使えないというわけではないから合コンしながら一人の女性とあってもいいし、一人の女性を口説きながら合コンに行ったりすればいい。けど、どちらかを選んでいる状態で他方のことをやると「それって時間の無駄じゃね?」って思ってしまう。

どちらの道が正解というのはなくてやってみても正解がわからないことのほうが多いということは頭ではわかっている。けれども「もっといい方法があるのではないか?」とか「もっと視点を変えれば別の考えが出てくるんじゃないのか?」とか考えてしまう。例えば彼女を作りたいっていう考えは一人でいる時間が寂しいっていうことだったり話し相手が欲しいってことだったり結婚がしたいってことだったりその先の何かを求めるための一つの施策なのかもしれない。それなら、そっちの目標に向かって別の視点で考えたほうが効率がいいのではないのか?って今度はそっちに考えが堂々めぐりしだす。

これが人生の話で僕一人だけで完結するのであれば別に問題ない。回り道は回り道でそれなりに楽しいし、なにもやらないよりやったほうが絶対マシだし考えることすら無駄なんじゃないかと思う。けど、仕事となると話が違う。僕の行動にはお金が払われていてそれに見合った価値を出さなければならないし出したいと思っている。1時間でできることを10時間でやる人間より1時間でできることを1分でできる人間のほうがいいに決まってる。それは間違いない。だから僕は目標に向かっていくためのプロセスにこだわってしまうし目標を明確にして作業を行わなければならないんじゃないかと考えてしまう。

一人でやっているときは自分なりに目標とそれに至るまでのプロセスを明確にして考えたとおり進めばいいだろう。けど複数人でやるときはどうなんだろうか?僕が思い描くプロセスと他の人が思い描くプロセスが違った場合はどちらを尊重すべきなんだろうか?プロセスと目標が決まるまで動かずに話し合いを続けるべきなんだろうか?プロセスにこだわって何もやらないのは悪だと思うが、全くプロセスにこだわらずに作業を行うのもなにか違う気がする。それはそれで時間に対する無頓着さっていう点で悪だとみなされてもしょうがないのではなかろうか。プロセスと目標の明確化は複数人でやるときの肝だとは思うが、それに引きずられすぎられすぎて作業が行えないという状況は避けたい。だけど、ただ闇雲に進みたくはないというこのジレンマ感の解消法はどこかにあるんだろうか?

書いてるうちに結論が出るかと思ったけど別段結論は出ない。みんなその人なりに考えた結果のベストなプロセスを主張していて、最短距離で目標に向かって進もうとしているということだけは間違いない。それが疑いようもない事実としてそこにあるからそれでいいんだろう。目標が同じであればそれぞれが思い描くプロセスに向かって全力で進めばいい結果が出るんだろう。っという短絡的で楽観的な結論が今のところの僕の中での答えだ。

この考えを踏まえた結果、僕は彼女を作るという考えを伴侶を作るという考えに改めて、両刀になることで幅を広げるという試作に出てみることにする。これなら間違い無いだろう。これはモテる。

パチンコから学ぶコンプガチャに変わる試作3つ

先に行っておくと、僕はカードゲームを作っている中の人でもなんでもない単なるパチンコ好きのカードゲーム嫌い。だからこれから書くことは、法律云々でやっちゃダメなことかもしれないし、既にやってることかもしれない。

ガチャを引く台を自分で決めれるようにする

台によってレアカードが出る確率が違うふうなことを記載して、自分で台が選べるようになると引く人も増えるんじゃないだろうか。自分で選んだ台だからレアカードが出なかったのは違う台を選ばなかったからじゃないのか?っと錯覚させることで次に別の台でガチャを引くっていう動作につながるかもしれない。

台の直近で出たカード履歴を出す

今まで出たカードの履歴を出すことによって、クズカードが続いたから今度はレアカードが出るんじゃないかと錯覚してガチャを回してしまう。俗に言われるギャンブラーの誤謬ってやつ。これに台選択の自由まで与えると、クズカードが出続けた台でやればレアカードが出るんじゃないの派とレアカードがいっぱい出てるほうがレアカードが出る確率がいいんじゃないのか派に分かれてガチャを引く人が増えそう。

確率変動を設ける

何分の1の確率で確率変動に入るようにする。確率変動中は今まで30分の1だったのが2分の1で引けるようになりますよみたいな触れ込みを書いておく。こうするとこれまで使ったものも確率変動一発でレアカードがじゃんじゃん出るんじゃないのか?と錯覚してクズカードを引きまくる人が出てくる。台選択の自由を出しておくと、レアカードが出てすぐだと、これは確率変動にいるんじゃないのか?と錯覚してガチャを回してしまう。

まとめ

ざっくりとすぐに思いつくものを書くと↑の3つぐらいだけど、これ以外にも「天井制度」とか「フリーガチャカード」とか色々浮かんでくる。ということは結局ガチャがあるカードゲームってパチンコと作りはあまり変わらないんじゃないのかなーっておもったりもする。僕個人としてはあまりカードゲームは好きではないので(*1)、これを気に単純なカードゲームは全部潰れてしまってみんなが楽しめるゲームがもっと流行ってくれるといいなぁと思う。

*1: クリックするだけで進むやつね。マジック・ザ・ギャザリング的なのは好き

属人化とシステム化

考えさせられたので書いてみます。

システムを属人化させるな!っていうのは僕が働き出した頃すごく言われていたのを覚えています。確かに誰かがいなくなっても回る状況・誰かが倒れても動く状況というのを作るというのは大事なことですし必要です。ただ、すべてを属人化しなければならないというのは僕は否定的でどうしても属人化せざる得ない部分ていうのは出てくると思っています。

例えば何か物を作る場合を考えてみます。既に作成方法が決まっている「物を作る」という作業のみで言えば、すべてを機械でやって機械のメンテナンス方法・動作方法をマニュアル化すれば属人化せずに誰が倒れてもすぐに新しい人が動けます。これがうまく動く属人化ですしシステムだと考えています。ただ、機械やシステムというのは既に発明された物を作り上げるには適していますけど、なにか新しいものを創りだすというのには不向きだと思います。なにかの機械が新しい機械とか道具を作り出せるわけが無いですし、それを創りだすっていうのが人間が唯一機械に勝てる部分だと思います。決まったルールの中では既に機械のほうが頭がいいというのは証明されていますし(*1)、複雑で色々新しいことをする場合に属人化というのは適しているんでしょうね。

0か1で割りきってしまえばすごい楽なのです。「属人化は悪だ!替えがきくようにしとかないと行けないじゃないか。」とか、「属人化いいじゃない。効果高そうじゃん。」とか、全面的に賛成したり反対すると楽なんだけど、でも多分正解は適材適所で、うまく自分のなかで使い分けることが必要で、自分が成長できそうなんだけど考えることが増えて困ります。

言われているとおり0か1かで割り切れる話じゃなくて適材適所なんですよねー。今は新しいことを始めている。言い換えれば機械を作り出す作業の方をやられていて、創りだす部分ではどうしても属人化せざる得ないと思います。そこを過ぎると自分の中である程度この問題にはこの答えってものが出てくるようになって、それをどこかに吐き出すことでシステム化がなされるんだと思いますよ。んで、そこが一番きつくて楽しい作業なんじゃないでしょうか。産みの苦しみというかなんというか。

まぁ、そんなことわかってるよーって声が聞こえてきそうですけど、自分の考えをまとめて吐き出す意味でも書いてみました。なにか新しいものを作るって難しいけど楽しい!!!

*1: 例えばチェスとか

人生は取捨選択だと思う

前にも書いた気がするけどもう一回

人生は取捨選択の繰り返しだと思う。何かを得るためには何かを捨てないといけないし、逆に何かを捨てれば何かを得ることができる。

結婚は幸せを得る代わりに一人の時間を捨てる。

深酒は楽しさを得る代わりに明日のすっきりした目覚めを捨てる。

仕事はお金を得る代わりに自由な時間を捨てる。

こんな感じで、基本的には何かを得るためには何かを捨てなければならない。そう考えると人生はすごく単純でわかりやすいと思う。要所要所で自分はうまくいったことがあったのであれば、それは運がいいのではなくて過去に何かを捨てて努力した結果だと思うし、うまくいかなかったことがあったのであれば、それは過去に未来の成功を捨てる何かを得た結果だと思う。

言いたいことがよくわからなくなってきたからココらへんでやめる。

一つだけわかっていることはゴールデンウィークの最初に遊びすぎたせいで体調を崩し、後半は体調が悪くて何も出来なかったっていう結果が残ったってこと。これは成功をとったのか失敗をとったのかはわからないけど、少なくとも失敗を犯していることは確か。

歳をとって無理が効かなくなったもんだ。。。

来週から走りだそう。

福利厚生って単なる天引きじゃね?

福利厚生って名前が違うだけで、お金を給料として払うのかそれとも会社が勝手に決まった部分に使って社員に与えるのかの違いがあるだけだよね?無料でランチがでるよりランチ代として終業1日ごとに千円もらったほうがいいし、家賃補助が3万出るとかよりも給料が3万上がったほうがいいんじゃないの?

会社にとっては自由に使える金を決まったところに使わせることで無理やり従業員の環境を良くすることで体調面を管理して頑張って遅くまで働かせることができるし、普通に給料を払うよりも税金がすごく低くなるから(*1)会社にとっては一石二鳥の策だと思うんだよね。

別に福利厚生が手厚いからっていい会社ってわけじゃないと思うよ。

*1: たしか。うろ覚えだけどあってるはず

スマホでゲームを作るなら今だと思う

「ゲームらしいゲームが作りたい?だったらユー、うちにきなよ」UEI/ARC「ふつうの...
さてそろそろ来期ですよ。 うちは三月決算だから、来週から来期が始まります。 ところでさー http://anond...
 はてなダイアリー 

ゲームらしいゲームを作るなら僕も今だと思う。しかもスマートフォンを使ってモバイルで本気で遊べるゲーム。なぜそう思うかというといくつか理由がある

普及しすぎたカードゲーム

カードゲームは普及しすぎたと思う。カードゲームやら釣りゲームやらは確かにやってみると面白いし、あの課金率の高さはすごく魅力的だと思う。だけど、何故課金をするのか?って言うのを突き詰めていくと誰かより優位である状況ができるからなんじゃないかと思っている。優位である状況っていうのは相対的な評価だから人が集まらないと誰かより優位だという状況を作ることは難しい。カードゲームの母数が増えれば増えるほど人は分散していくから、何かしらのはまり要素っていうものを作らないと人が集まらなくなるんだろうけど、クリックするだけの単純なゲームだとはまり要素を作るのも難しい。はまり要素を作るためにはもうちょっと複雑なゲームらしいゲームっていうものが必要だと思っていて、カードゲームに飽きてきた人間たちがもうちょっと複雑なはまり要素があるゲームに群がりやすい時期なんじゃないかと思っている。嘘か真かしらないけどGREEに調査が入るだの入らないだの言われてるみたいだし、そろそろカードゲームをはやらせるのは無理なんじゃないかと思われる。今ならファミコン時代みたいなしょぼいゲームであっても空き時間で楽しむゲームとかではなくてしっかり楽しめるゲームを作れば普及する確率は高いんじゃないかと思っている。

インフラが整備されてきている

各社が4Gに対応してきたことでこの1年で通信速度が飛躍的に上がると思う。WebSocketが各種ブラウザに実装されだしてきたことでインフラが揃えばほぼリアルタイムの通信っていうのがスマホでもできるようになる。そうなれば、距離の壁を抜けてリアルタイムで同時対戦ってのが普通に実装できる時代がもうそこまで来ている。スマホのブラウザでは動きのカクカク感がひどいんだけど、それも来年にはハード性能が上がることによってほぼ無くなるだろうと予想している。1年前ぐらいからスマホが流行りだしてるから来年には2年縛りが切れて買い換える人も増大することだろう。ハードの性能が上がった携帯が普及すればファミコン程度の動きはHTMLでも全然動かせることになるんじゃなかろうか(*1)。

グラフィックをそこまでこらなくてもいい

体感的にスマホのグラフィックはしょぼくて当たり前だと思ってくれる風潮がある。今であればグラフィックにお金をそこまでかけなくてもゲーム性のみで流行るゲームを作れる可能性は高い。家庭用ゲーム機ではグラフィックがすごいのが当たり前になってしまっているからグラフィックにお金をかけなければヒット作を作るのがむずかしいっていう風潮ができていると思う。FFにしても新作でなにが評判になるかって言うとあのグラフィックがすごいって言うばっかり。そこにお金をかけないと売れないんだから業界的にしょうが無いんだろうけど、今のスマホユーザがもっているグラフィックに対する敷居の低さを利用しない手はない。

まとめ

今のスマホゲームだとちゃんとしたゲームを作成したにしても家庭用ゲーム機に比べればグラフィックにかけるお金が格段に低くてすむ。グラフィックにこらずにゲームを作ることが出来る時代は今しかないと思う。一旦流行ってしまえば続編続編で食えるのがゲーム業界の強みでもあると思うし、お金をかけずにバンバンゲームを出すことが出来るのはグラフィックにこらなくても大丈夫な今だけだと思う。終わらないゲームを作るんではなくて自作が楽しみになるゲームをそろそろ創りだしていい時期なんじゃないかと僕は思っている。

*1: まぁ今でもできるはできるけど敷居が高い感がある

日本人でも技術なら金を払ってでも聞きに行く

金を払って人に会う米国人、タダでも会わない日本人 人のつながり方に見える日米差
米国のカンファレンスで驚くのは、数千ドルする有料の催しに数千人が参加することである。日本では有り得ないことだ。
 日経ビジネスオンライン 

なんか違う。アメリカ人は人に愛に行っているんではなくて技術を学びに行っているんだよね?それであれば日本人もお金を払ってでも学ぶっていうことは結構あるんじゃないかな。

日本人がワークショップに行かないのは製品に関してのサポートが充実しすぎていて自分に関係無いことを覚える必要がないからなのかもしれない。会いに行かなくても向こうから会いに来てくれるからかもしれない。けど、それは製品を売り込みに来ているのであって技術者として話をしに来てくれている人ではない。日本のワークショップが製品の説明ではなくて、製品を作る過程を話してくれる場であればお金を払ってでも聞いてみたいと思う人は日本でもいくらでもいるのではないかなと思う。

んで、日本の場合は手をとりあって何かを作るってのは無理だと思う。なぜ無理かって言うと守秘性を重んじる会社が多いから。

日本企業で手をとりあってっていうのは今まで仕事をしてきた中であまり見たことがない。同様の職種をやっている人の中でも、個人同士が手をつなぎ合って何かを作るっていうことは聞いたことがあるけど、仕事でやっていることを話しあってどうだこうだってやるって話は聞いたことがないし難しいと思う。そこには絶対に守秘義務と呼ばれる壁が立ちはだかってその部分に触れずに話すとどうしてもコアな部分の話をすることができない場合が多い。

Web業界・アプリ業界は結構オープンだけどそれでも手を取り合って何かを作るっていうのは難しいと思う。アメリカのワークショップがそれほど御盛り上がっているって言うことはコアな話をしているはずなんだけど、どうやったらコアな話ができる空気が出来上がるのかを知りたいなぁ。DeNAのカードゲームがどういう部分に気を使うことで人を集めているのか?とか知りたいし、Facebookの友人かも?のアルゴリズムも興味がある。Googleの検索エンジンがどういう仕組で動いているのかも知りたいし、Amazonのレコメンドのアルゴリズムも知りたい。

もし、そういうことを話してくれる場が開かれるのであれば金を払ってでも聞きに行く人は日本の中でもいくらでもいると思う。まぁ、守秘義務の壁やらなんやらのせいで無理なんだろうけど。

クリックゲームがもたらす影響

僕は小さい頃にゲームゲームばっかりやっていたゲーマーんだけど、僕が小さかった頃に今みたいなClickするだけのゲームしかなかったと考えると僕はゲームをやってたんだろうか?今出ているようなClickだけしていればいずれ強くなっていずれゲームをクリアできるっていうゲームに対して僕は小さい頃だと楽しさを感じることができたんだろうか?

僕が小さい頃にやっていたゲームは今の携帯ゲームに比べて数倍難しくて面白かった。マリオにしろドラクエにしろFFにしろそれぞれに固有の面白さがあった。マリオは今の釣りやらジャンプする奴やらの数倍難しいタイミングゲームだし、ドラクエ・FFは今のClickゲームを数倍難しくしたRPGだと思う。それを小さい頃にやって自分なりに考えてすこしずつ進んでいくことに喜びを感じていたし面白さを感じていた。そんな僕だからなのか今のClickだけで進んでいけるゲームに対してちっとも面白さを感じることができない。

じゃあ、もし僕が今幼少期を過ごしていたとしたら今のゲームをしなかったのかと言われると全く自信はない。今のゲームしかなかったのであれば、それはそれで楽しいって感じるんじゃないかとも思う。ビックリマンチョコについたシールを集めるのは面白かったし、カードダスで出てくるカードで単純なバトルをやるのも面白かった。あんな感じで今の子供達って携帯ゲームを楽しんでいたりするのかと妄想したりする。

僕は今のゲームたちが好きではない。クリックするだけで進んでいって射幸性を高めることで継続させる。純粋にゲームが面白いって所で勝負するんではなくて、やらないと損するとか他のユーザと絡ませることでゲームをせざるえない状況をユーザに与えることで継続させるゲームが多くてげんなりする。継続させる仕組みを考えて、継続させることができたら今度は課金させる仕組みを考える。それを面白いってユーザは感じることができるんだろうか?(*1)まぁ、もともとゲームを遊ぶのが無料っていう時点でどこかで課金してもらわないといけないのはしょうがなくて、無料でやれるって状況に感謝しないといけないんだけど、どうしてもその流れが好きになれない。レバーを引くとある一定間隔で餌がでる仕組みを猿に与えると猿はずっとレバーを引き続けるらしい。それと今の携帯ゲームが同じ気がしてならない。

小さい頃にゲームをやり過ぎると馬鹿になるって言われて僕は育ってきた。でもその話は実は結論は出ていなくて、本当かどうかわからないみたい。単調な行動をし過ぎると馬鹿になるってのは証明されているらしいけど、昔のゲームは今のゲームに比べて頭をつかう奴が多かったから結論がまだ出てないのかなーと思う。でも今のゲームは違う。30年後に調査をしたらゲームをしたら馬鹿になるって証明されてるかもしれない。

そろそろカードゲームバブルも終わるんだろうけど、その先の各社が作るゲームが気になる。今と同じような仕組みを使ってモチーフだけ変えて全く別のゲームができましたよーっていって大々的に出してくるのか、それともこれじゃいかんっていって本腰入れて面白いから続けるゲームを作ってくるのか。それによって30年後のゲームの評価とか今の子供たちの学力が決まってくるのかもしれない(*2)。

*1: 僕がやったことがあるゲームがそんなのしか無くて他に面白いものがあるのかもしれない

*2: って書いてみたけど、携帯ゲームをやってる人間の大半は子供じゃなくて大人なんじゃね?と思って調べてみたけど資料が出てこない