子育てのプロなんて存在しない

子育ては迷うことが非常に多い。通説もいろいろ変わる。抱っこしすぎるのは良くないって言われていたけど、そんなことはないということがわかったり、英語は小さい頃から聞かせておくと英語脳ができると言われていたけど、小さいときに英語を教えるとエセバイリンガルになってあまり良くないと言われていたりもする。学説でさえいろいろ変わっているのだから、親として子供にどう接すればいいのかは非常に悩む。

子育てのプロと呼ばれる人間は世の中に存在する。保育士だったり学校の先生だったり、多くの子供と接しどのように接すればどのような返答が帰ってくるのかをだいたいわかっている人間のことだ。しかし、我が子となると子育てのプロであってもうろたえる。子育てのプロが知っているのはいろいろな子供の平均値であり、しかもそれはある特定の場所にいる子供の平均値でしかない。我が家で親子として接している子供の姿の多くを知っているプロは少なく、自分の子供が平均的に動くことも稀であり、すべての人は子育ての初心者として子育てを始めることになる。

子育ての初心者としてちょっと手慣れてきたときに第二子、第三子と生まれたとしても、子育てはせいぜい7人ぐらいが限度となる。長い人生においてたった7人の子育てしか経験できないのだ。その子育ての平均値をみても母数が少なすぎて、この子にうまく行ったことが他の子でうまくいかないなんてことはよくあるはずだ。じゃあ、親を頼ってみたとしても、親は我が子を育てたことはあるが、我が孫を育てたことはない。子育てとは全てが初めてで、ほとんどのことがもう一度経験できないことの繰り返しなんだと思う。

なので、学説に頼っても学説はすぐに覆されるし、他人を頼っても他人はあくまで他人で他人が見た平均値の返答しかできない。我が子を我が子として認識できるのは自分と妻だけしか存在しないのだから、どうなってもしょうがないと開き直るしかない。我が子を可愛がりたいなら可愛がればいいし、我が子を厳しく育てたいなら厳しく育てればいい。我が子がおとなになったときに、あのときにもうちょっと別の育て方をすればと考えるときは誰にでもきっとくる。しかし、それは全てが過ぎ去ったからこそ判断できることであり、そのときにそのタイミングがもう一度訪れたとしても同じ決断はきっとできないのだ。