「道具」ではなく「文化」をもたらすサービスがいいよね

Instgramは「画像を上げてみんなで見れるサービス」だし、Twitterは「短い文しか上げることができないブログ」になる。どちらも作るのは非常に簡単で、主要な機能だけならすぐに作れるものだろう。単純なサービスは簡単に作ることができる。言い換えれば簡単に似たようなサービスを作ることができる。しかし、その中で流行るサービスと流行らないサービスに別れてしまう理由を前はサービスの利便性だとか機能だと思っていた。しかし、最近は「文化」のほうが重要なのではないかと思えてきた。

サービスの使いやすさや機能というのは地盤でしかない。最低限の機能が最低限使いやすくできていれば、それ以外の機能はオプションなので必須ではない。必須ではないものを詰め込んでいけば、使い勝手は良くなり裾野が広がり使う可能性がある人間は増えるだろう。しかし、それは「道具」として使えるようになったに過ぎない。「道具」はあくまでも「道具」で使いやすいものが出てくれば取って代わられる。使いやすいものというのを突き詰めて他のサービスを落とすという方法もあるのだろうが、それには多大な労力がかかり、巨人が同じようなサービスを出してくると潰される可能性がある。

しかし、「文化」は真似することができない。使い勝手は悪いけど、なんとなくこのサービス内の雰囲気がよいから使うというのは往々にしてあると思う。Instagramに写真を上げればなんとなくおしゃれになった気分になるし、Twitterには適当な文章を吐き出して良さそうな雰囲気がある。この「文化」が非常に大切で、最終的にどういった文化をそのサービス内で形成したいのか?から逆算してサービスをつくるというのは良いアプローチなのかもしれない。やりたいことを実現するためにアプリを作るのではなく、どういった人をあつめたいのかというアプローチから逆算してアプリを作ると面白いのかもしれない。