ループする法則が新しいループもの #七回死んだ男

読んだ。ループものとしては及第点は取っていると思う。

あらすじをざっくりいうとたまに1日を繰り返してしまう体質を持つ主人公がおじいさんが死んでしまうのを阻止する話となる。何をやっても死んでしまうおじいさんをあの手この手で阻止しようとする主人公の奔走は面白い。ループものは多々あるが、繰り返す回数が決まっていて8週目に行ったことが現実となるという設定も新しい。新しいと言いながらもこの話自体が古いのでこの話を見てからループものを書いている人のほうが多いのかもしれない。

最後にどんでん返しが!みたいな噂から読み出した本だったが読み終わった感想としてそこまでどんでん返しというわけでもないと思う。全てが終わった後に切れ者の僕が答え合わせをして読者にちゃんと説明するのは好意がもてるが、後日談は必要だったのかがよくわからない。やはりループものは終わり方が難しいのだろうか。若者が書いて書き終わったのに終わらせたくなくて書いちゃった感じがいなめない。

全体的にほんとしては読みやすくループものが好きな人なら読んで損は無いんじゃなかろうか。別にどんでん返しもないと思って先を予想せずに読み進めていけば楽しめると思う。しかも、作者のあとがきが3個乗っているというのがなかなか趣深い。

難しく考え出すと止まらない映画 #第9地区

見た。色々考えさせられた。

ざっくりあらすじを言うと「第9地区」と呼ばれる隔離された場所に宇宙人が共存している社会で宇宙人と人間との衝突を描いた作品になると思う。人間が爆発したり、腕が吹き飛ばされたり、嘔吐していたりと結構気持ち悪くて過激な描写が多いので苦手な人はきついと思う。全体的な流れはドキュメンタリー形式で進んでいきテンポよく進んでいくなかでテンポよく過激なシーンが含まれてくるので好みが別れるところではなかろうか。

この作品を作った人は人種差別の比喩として宇宙人を使ったのだろうか。第9地区というスラムのような場所で劣悪な環境に押し込められている宇宙人が昔の奴隷として使われていた黒人とダブってしょうがなかった。見た目が違うだけで人間は差別してしまうのに種別が違えばもっとひどくなる。言葉が通じて知能があれば人権が出てくると考えるとこの話はひどい話に取れるが、家畜や愛玩動物などと今作で出てくる宇宙人が同じだと考えれば差別などというわけではなく普通なのだろう。家畜と人間が同じ場所で生活させられていれば、人間を虐待していると思われかねない。分かれて生活するほうが普通なのだ。

差別とは環境や時代によって違い、未来の人間彼見れば僕らは野蛮人にうつるのかもしれない。平等はどこで線引するのか難しく非常にセンシティブなのだろうと思った。

大まかにうなずけて細かいところが気になる #革命のファンファーレ

読んだ。ちょっとだけファンファーレが鳴った気がした。

この本を手に取ったのは見城さんがひたすら褒めていたのでどれほどのものなのかと確かめてみようと思ったからだ。読んだ感想としては今まで色々な場所で西野さんが話していることがまとまっているだけであまり目新しい話はなかった。なので、西野さんの話をあまり聞いていない、知らない人にとっては面白い本になるだろうが、お騒がせ芸人として西野さんをウォッチしていた僕にとっては本として読むほどでもなかった印象だ。

この本に記載している内容はほぼ「煙突町のプペル」という絵本についての話になる。この本を作り始めるための構想、作り終わった後にどうやって売るのか、一旦売り上げの波が収まった時にどうやって盛り上げたか等々、「煙突町のプペル」を起点として西野さんの考え方、思考の流れをざっくりと書いた本になる。なので、この絵本という題材を各自が自分が立ち向かっていくべき敵へと置き換えて咀嚼する必要がある。僕が期待していたのは、「煙突町のプペル」の作り方を一般的な話に西野さんの頭で置き換えた話しだったのだがそういうことは書いていない。この本を書くのはすんなりと終わったとどこかで話していたが、題材を変えずに自分がいままで考えて来たことを書き出すだけなのだからすんなり書けたというのもうなずける。できればもうちょっと難産になるであろうことに挑戦してほしかったものだ。

ただ、この本は「あがった」人に向けている話になると思う。元2ch管理人のひろゆきさんが外国に住んでいる理由を「日本では下駄を履いた状態で色々なことが出来るため面白くないから」と語っていた。ひろゆきさんがなにかを発表した場合、それは一般人が発表した場合に比べて話題になりやすいし、会いたい有名人が出てきた場合にひろゆきさんは一般人よりもその人に会える可能性は高いだろう。この状態をひろゆきさんは「あがった」と表現していたのだが、西野さんはこのあがった状態体の人間なので一般人はその状態まで持っていくための努力を更にする必要がある。

なので、この本にかかれている「クラウドファンディングと芸能人は相性が悪い」というのは違うと思う。芸能人がクラウドファンディングをするのと一般人がクラウドファンディングをするのでは見てくれる母数が違う。つまり、この本でも書いている「著作権を破棄することで母数を増やす」というのと同じように最初から見てくれる母数が違うのだから書いていることは矛盾している。この本ではロンブーの敦さんが行っているクラウドファンディングの話を元に芸能人とクラウドファンディングの相性が悪いと書いているが、あれはただ単純に企画が悪い。調べると一軒しか出てこないのでそれのことを言っていると思うのだが、あんな案件を一般人が行ったら1万円も集まらないのではなかろうか。それを芸能人のパワーで400万まで引き上げたのだから相性が悪いわけではない。単純に企画が悪いだけだと思う。

この本を読むと突っ込みどころが多いが、その分ヒットを生み出すために色々なことを考えに考え抜いて「煙突町のプペル」という作品が出来上がったのだということがよく分かる。「神は細部に宿る」とよく言うが、西野さんのように最後まで考え抜いて考え抜かなければ人に物を届けるというのは難しいのだろう。西野さんは「煙突町のプペル」を書く前に何冊か本を出している。それを作った時は「これは100万部は売れるぞ!」と意気込んだにも関わらず、1万部しか売れなかったらしい。もちろん絵本で1万部も売れればベストセラーなのだが、思ったより売れなかった理由を考えた結果、ものを作るというのは作品ができあがることを言うのではなく、出来上がった作品がお客さんの手のもとに届いて初めて作品ができあがると定義してものづくりを始めることにしたのが「煙突町のプペル」なのだそうだ。

僕がこの本を読んで一番感銘をうけたのはこの部分だ。何かを作る人間にとって作り上げるまでが自分の領分だと思いがちだが、作り上げるだけでお客さんの手に届かなければそれは作ったものとしては価値がないし意味もない。お客さんの手に届いた時点で初めて作り上げたものは価値を持ち出来が経ったものとして認識されるのだろう。どうしてもものづくりをする人間は宣伝せずとも素晴らしいものを作れば勝手に人は手に取り勝手に広がっていくものだと考えがちだ。出来上がったものが広がらなかったのは出来上がったものが悪かったわけではなく、単純に表舞台に上がることすらできなかっただけかもしれない。まずは表舞台にあげる努力をしなければならず、そこまで含めてものづくりだと考えて作業するべきなのだろう。