プロセスにこだわるのは悪なのか?

例えば彼女を作りたいって考えたとする。彼女を作るために多くの人と出会ったほうが確率が高いと考えて合コンに明け暮れる。もしくは一人に絞ったほうがいいから誰か一人に全ての時間を費やしたほうがいいと考えて一人の人に時間をかける。目標は同じであってもアプローチの仕方が全然違う。どっちが正解かはやってみなければ分からない。けど、目標に至るまでのプロセスをすごく考えてしまって、これをやるぐらいならこっちをやったほうが効果が上がるのではないか?とかいうことをよく考える。

目標に向かっているという事実はどちらも変わりない。けど両方を取ることはできない。多くの人と会う時間を作るということは一人の人と会う時間が少なくなるということだし、一人の人に時間を使うということは多くの人と会う機会を減らいているということだ。それじゃあどっちに進めばいいの?って迷ったり考えたりする。どちらかの手段を選んだからといって、その一方しか使えないというわけではないから合コンしながら一人の女性とあってもいいし、一人の女性を口説きながら合コンに行ったりすればいい。けど、どちらかを選んでいる状態で他方のことをやると「それって時間の無駄じゃね?」って思ってしまう。

どちらの道が正解というのはなくてやってみても正解がわからないことのほうが多いということは頭ではわかっている。けれども「もっといい方法があるのではないか?」とか「もっと視点を変えれば別の考えが出てくるんじゃないのか?」とか考えてしまう。例えば彼女を作りたいっていう考えは一人でいる時間が寂しいっていうことだったり話し相手が欲しいってことだったり結婚がしたいってことだったりその先の何かを求めるための一つの施策なのかもしれない。それなら、そっちの目標に向かって別の視点で考えたほうが効率がいいのではないのか?って今度はそっちに考えが堂々めぐりしだす。

これが人生の話で僕一人だけで完結するのであれば別に問題ない。回り道は回り道でそれなりに楽しいし、なにもやらないよりやったほうが絶対マシだし考えることすら無駄なんじゃないかと思う。けど、仕事となると話が違う。僕の行動にはお金が払われていてそれに見合った価値を出さなければならないし出したいと思っている。1時間でできることを10時間でやる人間より1時間でできることを1分でできる人間のほうがいいに決まってる。それは間違いない。だから僕は目標に向かっていくためのプロセスにこだわってしまうし目標を明確にして作業を行わなければならないんじゃないかと考えてしまう。

一人でやっているときは自分なりに目標とそれに至るまでのプロセスを明確にして考えたとおり進めばいいだろう。けど複数人でやるときはどうなんだろうか?僕が思い描くプロセスと他の人が思い描くプロセスが違った場合はどちらを尊重すべきなんだろうか?プロセスと目標が決まるまで動かずに話し合いを続けるべきなんだろうか?プロセスにこだわって何もやらないのは悪だと思うが、全くプロセスにこだわらずに作業を行うのもなにか違う気がする。それはそれで時間に対する無頓着さっていう点で悪だとみなされてもしょうがないのではなかろうか。プロセスと目標の明確化は複数人でやるときの肝だとは思うが、それに引きずられすぎられすぎて作業が行えないという状況は避けたい。だけど、ただ闇雲に進みたくはないというこのジレンマ感の解消法はどこかにあるんだろうか?

書いてるうちに結論が出るかと思ったけど別段結論は出ない。みんなその人なりに考えた結果のベストなプロセスを主張していて、最短距離で目標に向かって進もうとしているということだけは間違いない。それが疑いようもない事実としてそこにあるからそれでいいんだろう。目標が同じであればそれぞれが思い描くプロセスに向かって全力で進めばいい結果が出るんだろう。っという短絡的で楽観的な結論が今のところの僕の中での答えだ。

この考えを踏まえた結果、僕は彼女を作るという考えを伴侶を作るという考えに改めて、両刀になることで幅を広げるという試作に出てみることにする。これなら間違い無いだろう。これはモテる。