「君の膵臓を食べたい」が好きな人におすすめしたい – 屋上のテロリスト

読んだ。男性版少女漫画だなと思った。

ざっくりあらすじを書くと、女子高生テロリストの話になる。もし、日本がポツダム宣言を受理しなかったと仮定して、今の北朝鮮と韓国のように北日本と南日本に別れたパラレルワールドが舞台となり、あからさまに北と南の作りが朝鮮半島を意識させているなと感じた。やはり想像しやすいというのは物語を理解する上で重要なので、実際存在する対立関係を使って書いているのはすごく良いと思う。

この話を読むと「君の膵臓を食べたい」を思い出してしまう。あまり活発ではなく覇気がない男の子が、活発で自己中な女性に振り回される。しかし、女性は人気者で顔がよく少しづつ女性に轢かれていってしまうという少女漫画を真逆にしたような設定が非常に近い。男性が女性化しだしているとよく聞くが、それにともなって男性も自分が主人公の少女漫画を読みたいと考えるようになってきたのかもしれない。

結末がすごいという評判で読み出したこの本だが、べつに結末は普通だと思う。途中からこうなるだろうと予想したとおりに話が進んでいくので読んでいてストレスはない。読みやすい文章とわかりやすいシチュエーションと流行りの人間関係を上手く使っているこの本は読み手を選ばずに好まれるのではないかと思う。僕も結末での裏切りを期待して手に取った本ではあったが、期待を裏切られたにも関わらず面白く読めた。おすすめできる本だと思う。

挑戦的な文章構成で読み手を選びそう – 殺意の対談

読んだ。挑戦的な書き方だなと思った。

この本は短編集でインタビューされている人間の心の声を記載しながら、途中途中で回想が入っていくという挑戦的な文章構成になっている。僕はかろうじて受け入れることが出来たけれど、なかなかすっと頭に入ってきにくい構成なので読む人を選ぶ作品だと思う。「殺意の対談」というタイトルだけに、対談中に言葉ではニコニコと話しているくせに裏側では殺意を抱いている裏表の描写や、対談している人間の視点が切り替わったときの見え方が180度変わってしまうストーリー展開は非常にうまいと思う。さらにバラバラに見える対談が最終的に一つになっていく様は玄人好みしそうな話だとは思うが、作者のドヤ顔が文章に透けて見える感じを受けてしまって別にそこまでしなくてもいいんじゃないかなと思わなくもない。

この作者は「神様の裏の顔」という本を読んでから新作が出る度に手にとって読んでいるわけだけれど、今のところ2冊読んで「神様の裏の顔」を超える面白さを感じることはなかった。だからといってこの本が面白くないというわけではなく、「神様の裏の顔」という作品が僕の好みにあっていて、非常に面白かったと言うだけなので、この挑戦的な文章構成が受け入れることができるのであれば読むに値する本だと思う。体に合わなかったらやめるぐらいの軽い気持ちで、最初10ページぐらい立ち読みしてから買うことをおすすめしたい。

砂に怖がらずに最後まで読んでほしい – 砂の女

読んだ。砂の描画が怖いし痛い。

ざっくりとあらすじを書くと「砂に埋れた集落に監禁された男の話」になる。とにかく砂が出てきて目を開けられないとか、汗で砂が湿ると体に張り付いて化膿するとか、つばが砂に座れて喉が渇くとか、うがいをしても砂が残るが喉の渇きに耐えきれずに砂ごと飲むとか、砂に関わる記述が生々しくて非常に怖い。閉じ込められる恐怖と砂による追い込まれ方とわけの分からない村人との会話といい僕だったら発狂してしまいそうな状況だ。

そんな恐怖に満ち溢れた物語だけれど、読了後はなんとも言えない気分になる。今いる自分の環境は砂に埋れた集落より良いのかもしれない。しかし、僕がいる環境よりもいい環境というのはいくらでもあるだろうし、その僕よりもいい環境に住んでいる人間からしてみれば僕はなんと恵まれない人間なのかと馬鹿にされるのかもしれない。結局人間は自分が与えられた環境でいかに幸せを感じながら生きていくかでしかなく、過去でもなく未来でもなく今を楽しむのが良いのだろう。

今いる環境をどうにかしようと未来に向けて生活するのもよいが、目指すべき未来にむかうよりも楽しく幸せな現実がすぐそこに転がっているのかもしれない。現在の状況というのは自分から見れば辟易するようなものかもしれないが、他人から見れば喉から手が出るほど欲しいものかもしれない。どんな環境であれ、直ぐそばにある幸せを感じることができるアンテナを張り巡らせる方が、生活水準を向上するためにもがくよりも豊かで楽しい人生を歩めるのかもしれないと思わされた。

読む音楽 – 蜜蜂と遠雷

読んだ。文章力に圧倒された。

ざっくりしたあらすじは音楽コンクールの人間模様になる。この本は本屋大賞と直木賞のダブル受賞というネームバリューとカードのポイントが余っていたので普段は買わない本を買おうという不順な動機が相まって買ったわけだけど、好みの話ではないが読んでよかったなと思うことが出来るぐらいの内容ではあった。音楽コンクールの話なので「音」についての記述が頻出するのだけど、音楽という物をここまで文字で表すことが出来るのかと驚愕した。読んでいて情景が浮かんでくるというのはよくあるが、「音」が聞こえてくる、しかも僕はクラシックなどほとんど聞いたことが無いにも関わらずクラシックの音楽が聞こえてきそうな文章というのは初めて読んだ。ここまで文章で表してしまったら、本屋大賞とか直木賞とかとるわなぁと思わず納得してしまう。

内容的には綺麗な話だなと思う。登場人物がほとんど天才だけれど、正統派の天才と突然変異型の天才の対決というのもなにかいい。悪く言えばありきたりの人間たちが出てくるわけだけど、すべての人が個性的で感情豊かですんなりと自分の中に入ってくる。努力型の凡人もちゃんとでており、こういう対決物としてよく浮かぶ人間のタイプはだいたい網羅されてる感がある。きれいな文章で綺麗な音楽を聞きたい人にはおすすめの本だと思う。

読了後に何を感じるのだろう – 豆の上で眠る

読んだ。映画に向いてそうな話だなと思った。

あらすじをざっくり書くと「姉を誘拐された妹が実家に帰省しながら誘拐されたことを思い出していく」話になると思う。湊かなえさんだけあって読み進めていけばいくほど続きが気になり引き込まれていく。最後にきっちりとオチがあるんだけれど、最終的に読者に投げかけてくる問いかけが非常に映画受けしそうなテーマで、映画化されることを前提として書いてたりするのかなと思ってしまった。

本の題名にも使われている「エンドウ豆の上に寝たお姫さま」というのは実在する童話のようだが僕は読んだことはない。豆の上に轢かれた布団の上で寝たときに、違和感を感じることができれば普段いいところで寝ているのでお姫様だとわかるというような話のようだが、この違和感がテーマの話を主題としてもってきているのも読み終わるとなるほどと思ってしまう。非常に面白いとまでは言い難いが、最終的に読者に問を投げかけるという終わり方が良くて家族関係に疲れた時に読むと良い一冊なのかもしれない。

苦手だった作家が好きになった – リバース

読んだ。今までに読んだ本の中でベスト5に入るぐらい衝撃を受けた。

ざっくりあらすじを書くと、学生時代に犯した過ちを告発された主人公が真相を探す物語になると思う。うだつのあがらない主人公が真相を探してもがいている様は明日に向かって進もうとしている人間の様に見えて非常に共感できる。最後に伏線を回収していくのは気持ちいいしなによりオチがすごい。そんなばかなっと読む手が思わず震えた。読了後の気持ち悪さはひどいわけだがそれを差し引いても呼んで面白かったと思える。リバースというタイトルの意味が最初はわからなかったが、妻と話をしていて「主人公は最初に戻ったんだよ」と言われて腑に落ちた。なるほど。彼はずっともがき続けるしかないのだろう。

この話には救いなんて無い。もがき続けた結果わかったことはじっと耐えるしか無いということなのだろう。すべての事柄が空想で終わっているはずなのにここまで気持ちよく、気持ち悪く終りを迎える本を僕は知らない。ぜひとも読んでもらいたい一冊だと思う。

あらすじからしてイカれている – 殺人出産

読んだ。村田紗耶香らしい本だと思った。

ざっくりあらすじを書くと「10人子供を産むと1人殺すことが出来る権利を得ることが出来る世界」を描いた本になる。あらすじを読んだだけでイカれていると思うかもしれないが、ちゃんと本の中身もイカれている。村田紗耶香らしく問題作と題される作品になるのだろう。村田紗耶香という作家は性と生について常々疑問を持っているのだろう。不倫がいけないといか殺人が行けないというのは現代社会の常識であり、常識が変われば全てが許されてもおかしくないのである。この現代社会という枠組みをちょっとずらして考える事ができてしまうがゆえに、普通の人が考えもしない疑問を投げかけてくる文章を量産し続けている。

村田紗耶香という人が非常に気になり、この人が書いた本を色々と読んで生きたわけだが、最終的に息つくるところは「生と性」に対する疑問以外無い気がする。あなたが思っている常識はみんなが常識だと思っているから常識なだけであって、ちょっとずらしてみると常識じゃないのかもしれないということを突きつけられるのは非常に面白いのだけれど、この人が「生と性」から抜けた本を書くことはあるのだろうか。もし書くことがあるのであれば読んでみたいが、それまではお腹いっぱいなので読まなくても良いかなと思えてきた。それで言うと「コンビニ人間」は「生と性」がテーマではないからこそ直木賞を取ることができたのかもしれない。タブー視されている部分を書いてくれる作家というのは希少価値が高いのだろうが、一般受けはしないのだろうな。

複数の謎が見事に解けていく – がん消滅の罠 完全寛解の謎

読んだ。ガンというものを学ぶ上でも良いと思った。

ざっくりあらすじを言うと、「末期がん患者と診断されたことによりガン保険の払い出しを受けた人間が立て続けに完治(完全寛解)したことを不審に思った保険屋が、なにか不正があったのかを調査していく物語」となると思う。なぜ末期がん患者のガンは消滅したのか?もし有効な治療法を確立したのであればなぜその治療法を世間に発表しないのか?などの疑問が少しづつわかっていく過程は面白い。理系の考え方がとして、ありえないことが起こったのであれば、一つづつ前提から疑ってかかる必要があるというのはすごく納得できる。

なにか突飛な話なのかと思いきや、たしかに現実的に起こりうるのではないかと考え扠せられることがこの本の一番の怖さであり面白さではないのだろうか。何となくこうなるだろうと思っていた結末とは違ったのだが、してやられたと思うほどではなく現実に起こりうるラインなことに市松の恐怖を覚えてしまう。この本では複数の謎が少しづつわかっていく様になっており、最後の最後まで謎が残っていく。しかし、最後の謎解きが一番インパクトが低かったのがちょっと残念だった。それいる?って思わず思ってしまうほどだったのだが、他の人はどう思ったのだろう。気になるところではある。

ツチヤタカユキはきっとやってる – 笑いのカイブツ

読んだ。圧倒的な熱量と圧倒的な絶望が記されていた。

僕は5年ぐらい「オードリーのオールナイトニッポン」を聞いているリトルトゥースなのだけど、この番組を聞いている人なら知っているであろう「ツチヤタカユキ」が本を出したと聞いたら読まずにはいられないだろう。あの、ツチヤタカユキが本を書いているのだ。若林さんが話している内容しかしらないが、一日にボケを2000個ひらめき、隣を歩いているだけで注意をされ、渋谷駅の岡本太郎の絵を一日中見ていたという変人。これが僕のツチヤタカユキのイメージだったがこの本を読んでもその印象は変わらなかった。変わらないというより、僕が持っていた印象を更に凝縮して凝縮して凝縮したものがツチヤタカユキなのだと感じた。

この本に書いてあるのは圧倒的な絶望だ。お笑いに狂い、お笑いのためだけに自分の能力を特価させ、お笑いのためだけに仕事をしていた人間が、芸能界というお笑いのトップが集まるであろう場所で、人間関係不得意という理由で排除される絶望がただただ記されている。何かを極めるためには何かを擦れるしか無い。ツチヤタカユキはお笑いを極めるために人間関係を捨てたのだろうが、その捨てた人間関係のせいでことごとく失敗していき、能力で秀でれば勝てるであろうお笑いの世界でも捨てた人間関係で排除される。能力を上げるために捨てたもののせいで、上がった能力が評価されないというのは皮肉以外何者でもない。お笑い以外の全てをすてて脇目もふらず進んだせいで気づいたときには後戻りできず、不必要だと削ったものを使って自分よりも能力が低いであろう人間が評価されていくのを見ていくのは絶望以外ないのだろう。

この本に書いていることは誰しもが少なからず感じることだと思う。自分が得意だと思っていたことで自分は天才だと浮かれていたら、世の中に出ればそれは普通より少しだけ上なだけで普通の範囲を出ていないということが少しづつわかってくる。少しづつ少しづつ自分は普通だと認めざるえない状況になっていくのだけれど、それを認めるということは自分のアイデンティティーを否定するということと同義で、自分自信が否定されていくような感覚を覚えていく。普通の人間なら得意と思っていることは多数に分かれていて、一つが否定されたところで壊れはしない。しかしツチヤタカユキという男は全てをお笑いにかけていたのだ。そのお笑いというもので認められなければ、いろいろな理由をつけて自分の能力が低いわけではなく自分を評価しない世の中がおかしいと考えるのは至極当然のことなのだが、少しづつ「本当は世の中が認めないのがおかしいのではなく、自分の能力が足りないだけではないのか?」という疑問がわいてくるのだろう。それを押させつけて押さえつけていたものがはじけ飛んだ時がツチヤタカユキが絶望する時なのだと思う。

ただ、この本で度々出てくるわけだが、ツチヤタカユキは自殺する時はお笑いの教科書を作って死んでいくと言っている。お笑いの教科書的なものをブログでもなんでもいいから公表してからお笑いをやめると書いているのだ。僕の耳にはまだツチヤタカユキがブログを書いたとか、お笑いの教科書を書いたとかいう話は届いていない。ということはまだツチヤタカユキは絶望していないにも関わらずこの本を書いたということになるわけだ。そんなツチヤタカユキに僕はこう言いたい。

ツチヤタカユキ、お前やってんな!

天才的な凡人が紡ぐ恋の話 – ハニービターハニー

読んだ。文章が上手だなと思った。

僕は「朝井リョウと加藤千恵のオールナイトニッポン」で加藤千恵という人を知って、それから「真夜中のニャーゴ」をちょいちょいみるようになったぐらいの加藤千恵好きなんだけれど、今までずっとこの人が書いた本を呼んだことはなかった。「真夜中のニャーゴ」では知り合いの作家さんが出てきておすすめの本を紹介したりとかするような番組でこの番組に出てくる人の本はたいてい読んだことがあったわけだけど、なぜか加藤千恵の本だけは読んだことがなかった。一番大きな理由に表紙が少女漫画のようで、あらすじも少女漫画のようだからあまり好みではないのだろうというのがあるんだけれど、もう一つの理由として加藤千恵は普通だっていうのがある。作家さんは変わった人が多くて色々な人の話を聞いていると価値観が非常に変わっているので、この人が紡ぎ出す話はどんなものだろうと作家から興味がわいて読んだ本は結構ある。しかし、加藤千恵は良くも悪くも普通だと思う。なんというかバランス感覚が非常に高くて誰がどうしたら怒るとか、そういう観察眼は非常に優れているのだけれど、そこから独自の価値観を生み出すというわけではなく普通なのだ。バランスが崩れた人たちの中にいるにも関わらずバランスを取り続けているのはすごいわけだけれど、そこから出てくるものは標準の域を出ず、わかりやすくすっきりと入ってくる文章を書くんだろうと思うとなかなか手が出なかったというのがある。

そしていい加減読もうとこの本を手にとって見たわけだけれど読んだあとも印象は変わらなかった。非常にきれいな文章で非常にうまく描写をしていてうまいこと物語を紡いでいるけれども標準の枠を出ないというつらさ。この本は「ハニービターハニー」という名前どおり恋愛の甘さと苦さが同居する瞬間を描いている短編集だと思うんだけれど恋愛といえば苦さと甘さが同居するという標準的な考えと苦さと甘さの完璧なまでの混ぜ合わせ方。非常に標準で誰もが理解しやすく天才的なバランス感覚で書かれていて良く言えば理解しやすくすんなり読めるけれど悪くいうと面白みが少ないといういかにも加藤千恵っぽい本だなと思った。僕は熱量がある本が好きなのであまり好みではなかったが好きな人からは圧倒的に好かれる本なのではなかろうか。恋愛といえば甘さと苦さという普通を味わいたければおすすめできる一冊だと思う。