荒廃した世界で果てなき旅を – Fallout 4

クリアした。色々出来るけど出来ることが多すぎて何をしていいかわからなかった。

本作はオープンワールド好きなら一度は聞いたことがある作品だと思う。「核爆弾が落とされ荒廃した世界をさらわれた息子を探す」というのがざっくりとしたあらすじになるけれどあらすじはあってないようなものでなんでもできる。街を自分好みに作り変えたり、荒野にはびこっている敵を殲滅したり、放射能で異常に成長した動物を狩りまくってもいい。本当になんでも出来る。裏を返せば何をしていいかわからない。いく場所は決まっているけど行かなければならない時間も手段も決まっていないようなもので、どれだけ道草をしてもいいし、どんなルートを通ってもいい。もちろんこう進めばいいという作者の意図はあるんだろうけど、僕がそれにのって移動したのかは全然わからない。自由度が高いだけに難しい。なので、もし僕がもう一度この作品をやるんだとしたらしっておいたほうがよかったなとおもうことを書いておこうと思う。

まず最初に僕がハマったのはレベル上げだ。このゲームには基礎能力と特殊能力が存在する。特殊能力は基礎能力がある程度上がっていないと覚えることができないのだけれど、僕はこの「ある程度」を勘違いしていた。

これがレベル上げをするときの画面になる。一段目が基礎能力で2段目以降が特殊能力で、基礎能力を上げる毎に特殊能力が下に進んでいくことが出来る。つまりLV3の基礎能力があれば、4段目の特殊能力まで覚えることが出来るわけだ。しかし僕はこのUIを見てその段を最大まで上げることで次に進めるのだと勘違いしてしまっていた。一つの基礎能力を最大まで上げてようやく次かと2段目をあげようとした時に違和感に気づき、それから特殊能力をあげだしたわけだけどこれがかなりのロスになる。最初から特殊能力を上げていればもっと楽に進むことができたと思うので気をつけてほしい。大抵の人は最初から気づくとは思うが。。。

次にこのゲームは弾が足りなくなる。銃によって弾の種類が色々あるのだけれど、弱い銃の弾はいっぱい手に入るけど強い銃の弾はすぐに無くなる。建物に落ちてるやつとか敵を倒して追い剥ぎしたりとか色々な場所に弾は落ちているけれどすぐに足りなくなる。これをどうやって解決するかというと非常に簡単で色んな人から弾を買えばいい。落ちてるものを買うのが癪に障る僕は途中まで弾を買わずに進んでいたのだけどすぐに足りなくなってしまう。そうなると普段使っている強い銃ではなく弾がある弱い銃を使って進まざるえなくなり非常に効率が悪い。なのでいろんなところで売っている弾は買ったほうがいい。後、ヘアピンはあって困ることは無いから安いしあるだけ買っていいと思う。

そしていざ弾を買おうと思った時に困るのが金が無いということだ。金策としてよく言われるのが「水を売る」というものだけど、こんなことしなくても敵が落とした防具やら武器やらをもって返って売ることが出来れば十分に足りる。そう、もって変えることが出来れば、十分に足りるのだ。このゲームには重量の概念があり、無制限煮物を持つことができない。物を持ちすぎるとファストトラベルもできなくなるし走ることもできなくなる。そして、高く売れる武器や防具は重い。必然的にもって帰ることが出来る武器防具は限られてくるためお金が足りなくなる。もって帰れるものを多くするために持っていくものを少なくすると今度は弾が足りなくなる。こっちを立てればあっちがたたず。どっちも取れない辛さを味わうことになるので「水商売」を演る人が多いのだろう。

しかしだ。劇的に持てる荷物を増やす方法がある。それは、仲間に荷物を持ってもらうことだ。仲間には物を渡すことが出来るのでそれを利用して不必要で高く売れそうなものを仲間に持たせて街に行ったらもたせた荷物を戻してもらって売っぱらえば良いのだ。これで持てる荷物の量は2倍になる。僕はクリアした後に他の人のプレイ動画を見ることでしったのだけれど、これを知っているか知らないかではぜんぜん違うんじゃないかと思う。

本作品はちょっとした本編と膨大なサイドストーリーと広大な箱庭でやりたいことをやるゲームだ。家を立てて自分の陣地を襲ってきた敵を排除して、強い武器を求めて世界を彷徨いながら新たな発見をしていくんだと思う。GTAとかウィッチャーが好きな人ならきっと好きなのだろう。僕はもうちょっとコンパクトで枷があるゲームのほうが好きなようだけれどそれでも途中までは熱中してできたので面白いのではなかろうか。

https://www.youtube.com/watch?v=2r9xXdI676M&list=PLtWZQH-E_-OY5MnXiJJe56NmE6lIZP_O1

ツチヤタカユキはきっとやってる – 笑いのカイブツ

読んだ。圧倒的な熱量と圧倒的な絶望が記されていた。

僕は5年ぐらい「オードリーのオールナイトニッポン」を聞いているリトルトゥースなのだけど、この番組を聞いている人なら知っているであろう「ツチヤタカユキ」が本を出したと聞いたら読まずにはいられないだろう。あの、ツチヤタカユキが本を書いているのだ。若林さんが話している内容しかしらないが、一日にボケを2000個ひらめき、隣を歩いているだけで注意をされ、渋谷駅の岡本太郎の絵を一日中見ていたという変人。これが僕のツチヤタカユキのイメージだったがこの本を読んでもその印象は変わらなかった。変わらないというより、僕が持っていた印象を更に凝縮して凝縮して凝縮したものがツチヤタカユキなのだと感じた。

この本に書いてあるのは圧倒的な絶望だ。お笑いに狂い、お笑いのためだけに自分の能力を特価させ、お笑いのためだけに仕事をしていた人間が、芸能界というお笑いのトップが集まるであろう場所で、人間関係不得意という理由で排除される絶望がただただ記されている。何かを極めるためには何かを擦れるしか無い。ツチヤタカユキはお笑いを極めるために人間関係を捨てたのだろうが、その捨てた人間関係のせいでことごとく失敗していき、能力で秀でれば勝てるであろうお笑いの世界でも捨てた人間関係で排除される。能力を上げるために捨てたもののせいで、上がった能力が評価されないというのは皮肉以外何者でもない。お笑い以外の全てをすてて脇目もふらず進んだせいで気づいたときには後戻りできず、不必要だと削ったものを使って自分よりも能力が低いであろう人間が評価されていくのを見ていくのは絶望以外ないのだろう。

この本に書いていることは誰しもが少なからず感じることだと思う。自分が得意だと思っていたことで自分は天才だと浮かれていたら、世の中に出ればそれは普通より少しだけ上なだけで普通の範囲を出ていないということが少しづつわかってくる。少しづつ少しづつ自分は普通だと認めざるえない状況になっていくのだけれど、それを認めるということは自分のアイデンティティーを否定するということと同義で、自分自信が否定されていくような感覚を覚えていく。普通の人間なら得意と思っていることは多数に分かれていて、一つが否定されたところで壊れはしない。しかしツチヤタカユキという男は全てをお笑いにかけていたのだ。そのお笑いというもので認められなければ、いろいろな理由をつけて自分の能力が低いわけではなく自分を評価しない世の中がおかしいと考えるのは至極当然のことなのだが、少しづつ「本当は世の中が認めないのがおかしいのではなく、自分の能力が足りないだけではないのか?」という疑問がわいてくるのだろう。それを押させつけて押さえつけていたものがはじけ飛んだ時がツチヤタカユキが絶望する時なのだと思う。

ただ、この本で度々出てくるわけだが、ツチヤタカユキは自殺する時はお笑いの教科書を作って死んでいくと言っている。お笑いの教科書的なものをブログでもなんでもいいから公表してからお笑いをやめると書いているのだ。僕の耳にはまだツチヤタカユキがブログを書いたとか、お笑いの教科書を書いたとかいう話は届いていない。ということはまだツチヤタカユキは絶望していないにも関わらずこの本を書いたということになるわけだ。そんなツチヤタカユキに僕はこう言いたい。

ツチヤタカユキ、お前やってんな!