題名が絶妙に効いている – 神様の裏の顔

読んだ。帯に好きな作家がおすすめしてると書かれていたので読んだが、おすすめしたくなる気持ちがわかった。

この本のあらすじをざっくり書くと、素晴らしい先生の葬式に出席した人が先生の思い出を一人称で語っていく話となる。あの先生にこんなことをしてもらったから俺(私)は助かったという回想が多く、「神様の裏の顔」という題名と神様のように素晴らしい故人との回想というバレバレすぎる伏線からの立て続けに暴かれる裏の顔が非常にテンポが良い。大体こんな感じのオチなのだろうと想像しながら呼んでいたわけだが、だいたい想像通りのオチであるにもかかわらず非常に面白く読めるのは素晴らしいの一言に尽きる。みんなで「神様の裏の顔」について話し合っているシーンの人間模様の移り変わりは圧巻だと思う。

まだ1月なのでこれから色々な本をよむことになりそうだけど、今年はこれ以上に面白いと思える本には出会わないのかもしれない。そう思えるほどに面白く好みな本だった。あとがきを読むと元々この人はお笑い芸人らしい。ピースの又吉とか劇団ひとりとか芸人さんは本を書くのが上手い印象が強い。コントのネタは小説を書いているようなものだろうから、情景描写の技術さえあればコント芸人というのは作家に転校できるのかもしれない。

普通は脆い – コンビニ人間

読んだ。相変わらずな感じで面白かった。

この本のあらすじをざっくり書くと普通じゃない人がコンビニでバイトすることで普通を演じる話だと思う。村田紗耶香という作家はいつでも普通というのを疑って生きているのだろう。みんなが普通にやってることが彼女にとっては普通ではないのだろう。彼女が提示してくれるあなたの普通は普通じゃないのかもしれないという問題提起は非常に面白い。現に一昔前の学校を卒業して就職して結婚して子供を産んで家を建てて、みたいな普通の生活は今では既に普通ではない。現代にはびこっている普通は50年ぐらいで出来上がった物がほとんどであるという。テレビは普通だろうけど50年前は存在していなかった。携帯電はも普通だけど50年前には存在していない。スマホなんて10年前ですら存在していないが今では普通だ。それぐらい普通というのは揺らぎやすく脆いもののはずなのに、みんな普通にすがって生きているというのは滑稽なのだろう。

昔は集団で生きていく必要があったから普通である必要が非常に強かった。しかし、最近は普通である必要性はどんどん低くなっていく。だからこそみんなが普通というものに疑問を持ち出し、自分が考える普通は正しいかを知りたがり、その結果このような本が売れているのだろう。普通なんてたんなる基準にすぎない。平均値というだけだ。そのことをちゃんと認識しながらいきていったほうがよいのだろう。

さっくり読めるミステリー短編集 – 二歩前を歩く

読んだ。文字がでかくさっくり読み終わってしまった。

この本は何らかの超常現象に悩まされている人がその原因を解明していく流れの話が複数入った短編集になる。石持浅海さんらしくすべての話に華麗なオチがついているのがすばらしい。本筋はすべて超常現象なので一般的に幽霊と呼ばれるものがすべての話に出てくるのだけど怖さというものはない。超常現象というものは現代科学で解明されていないというだけで、事象として考えれば単なる出来事として捉えることが出来るので怖いと感じなくなるのだろう。理系の冷めた分析が終始出てくるので幽霊物が苦手でもすんなり読めるんじゃなかろうか。

軽く読める短編集を探しているなら読んでみて損はないと思う。

ポーカーを知らない人にはちょっとつらいかもしれない – 女王のポーカー

読んだ。続きものだけど続きを読むことは無いかなと思った。

ざっくりあらすじを言うとポーカーが流行った学校で王者として君臨するポーカーサークルを仲間を集める話になると思う。本作は続き物なようで、今作は人を集めるところまでで終わっており、次回で実際の戦いが始まるのだと思われる。この本で一番つらいのはポーカーのルールについて説明しないと話の面白さが伝わらない部分だと思う。ポーカーは5枚で役を作るってどっちが強いかで戦うというのが基本で、僕がやったことがあるのは、配られたカードを何回か交換して薬を作って戦うという程度のものである。しかし、本作品で行われているポーカーはテキサスホールデムというルールで全員で共通で使えるカードと自分だけが使えるカードで薬を作って戦うというものだ。僕は大体の役はわかるし大雑把なルールが分かっている状態で読んだのだが、ルールはわかるが熱くなるポイントというのがいまいち伝わらない。伝わらせるために長々とルールや確率や対戦スタイルについて書いているが理解するのが面倒になってくる。いってることはわかるのだがすんなり頭に入ってこないのは僕の理解力がたりないからなのだろうか。

さらに、いきなり始まる探偵者のようなストーリーなど、携帯小説で場当たり的に書いているような印象を受けてしまい、続きを読んでみようかという気持ちは起きなかった。これは僕がポーカーのルールを知らなかったからなのかもしれない。アカギという麻雀漫画を麻雀のルールを知らない人が読んでも理解できないように、この白をここできるのはどうなんだ!?みたいなセオリーを無視した動きというのはセオリーがわかっていないと面白くないのは当然だろう。一度ポーカーをやってからもう一度読めばいいのかもしれないが文章もあまり好みではなかった。好きな人は好きなのかもしれないが万人におすすめはできない本だと思う。

Googleがクソなのは検索じゃなくて広告の方だと思う

http://yuko-hirom.hatenablog.com/entry/2017/01/03/123553

検索が無能だと言ってるけど、検索だけじゃなくて広告が無能。見られた数だけで広告料を払っているのが無能だと思う。本来広告は載る場所もかなり重要なはずで、デマばっかり流しているところに広告がでるということはその広告を出している物自体もデマに見えてくる。だから、テレビは企業イメージがあっている番組に対してスポンサーがついてお金を払って広告してもらう。しかし、今のインターネットは広告主はどこに載るのかはわからない。クリック率が良くなるであろうサイトに乗せているというだけで、それがポジティブであるかネガティブであるかは関係ない。登録時には一応審査があるが、審査が通ってしまえばユーザからの通報がなければ広告は出続けるしお金は払われ続ける。PVとクリック率でサイトを判断し、それがネガティブなPVであろうがポジティブなPVであろうが同じPVとして計算し、同じようにお金が払われる。ここが現状のインターネットが腐っている原因だと思う。

キュレーションだとかパクリだとかなぜそれをやるのかというとPVが集まればお金が儲かるからというだけだ。個人でもアフィリエイトで儲かるから読んでもいない本を紹介するしやってもいないゲームを紹介する。そこがクリックされてお金が儲かる仕組みがあるのだからしょうがない。この現状を変えるにはそもそもクソなサイトを作ったらお金が儲からないような仕組みを作るしか無い。例えばパクリでPVを稼いでお金を払っていたのであれば、そのパクリが発覚した時点でその払ったお金を返答させる仕組みを作るとかやりようはいくらでもある。

それをやらないのはやらないほうがGoogleも儲かるからだ。お金が儲かるならなにをやってもいいという時点でクソなんだけど、現状の仕組みがそうだからしょうがない。広告主がGoogleに出稿しなくなればいいんだろうけどそんなことも起こらないだろうし、クソを撒き散らしてクソに引っかかったカスが見に来てることにも気づかずにせっせとお金を払って広告を出し続ける。若い人は検索なんてしないとか言ってるからこの仕組はだんだんと壊れていくんだろう。今のところ、カスな広告を出すのが一番儲かるからGoogleも本気を出さないわけで僕ら一般市民が出来ることはカスみたいなサイトは表示しないしクリックしないことぐらいだと思う。

ITの業界で働きだして15年ぐらいたちました

昨日の誕生日で35歳を迎えました。せっかくの誕生日を風邪を引いてしまうという悲しいスタートを切ったわけですが、会社もお休みを頂いてせっかく時間もあることですし日記でも書こうと思います。

35歳というとIT業界では「35歳定年説」がまことしやかにささやかれていて、働き出した頃には戦々恐々としていましたが、いざ35歳になってみるとコードが書けなくなったわけでもないし、頭が回らなくなった気もせずまだまだコードを書いて生きていける気がしています。「35歳定年説」はSier業界で35歳になったら上流設計をして手を動かすのは若いものに任せないとお金を稼げないから言われていた話であって、最近のIT業界の記事とかを見ていると僕よりも年上でも現役バリバリのプログラマーもいっぱいいますし、会社も35歳以上はマネージャじゃないと給料が上る道がないという感じではなく他の道も示してくれている会社が多くなってきた気がします。今働いている会社も同様にプログラマーとしての道を示そうとしてくれているのでありがたい限りですし、これからさきもまだまだ若いもんには負けんぞという気概でプログラムをガシガシと組み続けていこうと思います。

20歳からいわゆるIT業界で働きだして、インフラエンジニアと言いながらカスタマーエンジニアさながらLANケーブルを作って自分で構築したファイルサーバをサーバ室にもっていって設置したり、C言語で組込系として携帯電話の開発に携わりパケットが流れることに一喜一憂したり、趣味でWebサービスを立ち上げてみて人が来ない寂しさを味わったりと下回りから上回りまで一通り触ってきました。色々なレイヤのものづくりを経験しましたが、やっぱりどのレイヤでもものづくりは楽しくて、自分が作ったものを人が触ってくれて楽しんでくれているのを見るのは下回りだろうが上回りだろうが変わらずいいものでして、これからも続けていきたいなと思う次第です。

35歳にもなると色々な引き出しが増えてきて、昔に比べると色々なことが出来るし求められることに対してすぐに返答できるようになりました。しかし、引き出しが増えるというのはパターンが増えるということで、パターンが増えると求められるものに対して似ているパターンを考えてついつい自分の引き出しの中から答えを探してしまい、結果として古臭い答えが出てきがちだと思います。どれだけ新しいインプットをしていても、自分が成功した引き出しは常に更新していかないとすぐに老害と呼ばれる人間になってしまいそうな気がしてきています。何かを求められたとき、何かの問題点の解決法を探す時に自分の引き出しの中でそれっぽいものが見つかったとしても、ちゃんと今のトレンドにそっているかを一旦立ち止まって考えることを肝に銘じておきたいものです。

一般的に30歳から40歳ぐらいが会社にとっての稼ぎ時だといわれていて、僕も丁度その中間になったことになります。40歳から先は段々と若い子の稼ぎに乗っかりながら生きていくことになるとか言われてますが、定年もだんだんと上がっていきますし僕が定年を迎えることには30歳から50歳ぐらいまでは稼ぎどきだとか言われているのかもしれません。僕が40際になったときにはまだまだ稼ぎどきだねとか言われるかもしれませんが、転職すると考えると今までは未来を買ってもらって転職していたものがこれからは過去を買ってもらって転職していくようになっていくのでしょう。これまでの自分が経験したことは変えることができないので、自分の価値を高めるためにやっていく戦略というのも丁度折り返しで変わっていかなければならないのかもしれません。戦略と言っても結局は自分を磨き続けるしか無いんでしょうけどね。

エンジニアとしては自分を代表するような何かを作ってみたいという願望は常々あり、所属している組織で判断されるより何を作ったかで認識される人間のほうがかっこいいよなと思うわけで、何か一つぐらいは世に自分を知らしめる何かを作りたいと考えて色々なことに手を出してきて生きてきました。結果として何かひらめいたら自分で作れるだけの技術は持つことはできたと思っているので、後はアイデアとやる気次第なんでしょうが、歳と共に野望も少しづつ削られてきている気がするのが寂しいところです。やれることの幅と作れるものの幅は広がっているのに気力と体はついてこないとはどういうことなんでしょうか。これが歳というものなのでしょうか。昔、細木数子先生の六星占術のもととなったと言われる占いを知り合いが勉強していてその人に占ってもらったことがあるんですが、僕は大器晩成で50台後半で大成するらしいのでそのころになると気力が増えてくるのかもしれないので気長にまとうと思います。

つらつらと風邪を引いて回らない頭でIT業界で働いている35歳として思うことを書いてみたわけですが、過去やってきたことが今に繋がってるんだなとひしひしと感じます。ぽっと今の自分が湧いたわけではなく、色々なことを感じながら学んできた結果として今の自分がいるように、これから先を良くしていきたいのであれば今を積み重ねて生きていくしか無いのでしょう。見城さんではないですが、今この瞬間が死に一番遠い時間であるように、今この瞬間が未来を一番変えることが出来る自分なんだろうと考えながら日々生きていくしか無いということが段々と身にしみてわかってきている気がします。

まぁ、35歳で結婚して子供もできている現状を作ることができた自分というのは今思うと出来すぎだと感じますが、15歳ぐらいの人生設計を考えると全然だったような気がします。それは自分というものを知ることができたから現状で満足できているのか、それとも15歳から妥協し続けた結果として今の自分で満足できているのかは今の僕の年齢ではまだわかりません。ただ、過去の積み重ねの結果として出来上がった自分を否定せずに満足できている現状は精神的には健全なんでしょう。これから何歳まで生きるのかわかりませんが、「現状に満足せず精進する」というような高尚な考えではなく、過去を振り返った時に「自分の能力でここに入れれば上出来だよな」と思えるぐらいの努力を「今」という時間にやっていこうと思いますのでよろしくお願いいたします。

仮面病棟から大幅のパワーアップに驚愕 – 時限病棟

読んだ。期待せずに読んだけど思った以上に面白かった。

ざっくりあらすじを書くと、目が覚めると知らないところに監禁されていてそこから脱出する話になるのだけど、最近流行りのリアル脱出ゲームの体をとりながら進んでいるところが他と比べると新しい。病院で目を覚ました人たちがなぜ監禁されているのかを考えながら脱出ゲームさながらにお題をときながら脱出を試みていくわけだが、脱出ゲームというパッケージがあるおかげでテンポよく話が進んでいくので非常に読みやすく面白い。また、オチの付け方も非常に好みでなかなかよい。

この本は仮面病棟の続きの話になるのだが、繋がりはあまりないので先に読んでおいたほうが良いというわけでもない。仮面病棟はリンク先でも書いているが僕としてはひねりが足りずイマイチだったので、その続編となるこの本はあまりそそられなかったわけだけど前作とは比べ物にならないぐらい好みだった。本作が面白かったから、その前の仮面病棟を・・・と思って読んでしまうと無駄にハードルが上がりすぎてがっかりするかもしれないので注意していただきたい。

息もつかせぬ展開で一気に読んでしまう – 緋い猫

読んだ。続きが気になり一気に読んでしまった。

どういう話かをざっくりかくと、箱入りのお嬢様が好きになった反政府組織の人が疾走したので探しに行く話なんだけど息もつかせぬ展開の連続で非常に面白かった。「その女アレックス」とか「ゴーンガール」とかが好きな人なら楽しく読めると思う。ぐろいというか鬱になるような描写が結構出てくるのでそういうのが苦手な人はきついかもしれないが非常に面白いと思うので一度読んでみてもらいたい。

実際に手で触れそうなパラレルワールドがそこにある – 五分後の世界

"悪意とこだわりの演出術"で面白いということが買いてあった記憶があるので読んだ。

どういう話かをざっくりいうとパラレルワールドに行ってしまった男の話となるわけだけど本当にその世界が存在するのではないのかと思わせるほどの文章だった。村上龍の書いた本を初めて読んだわけだがすごく鬼気迫る描画で引き込む力が強い作家だなと言う印象だった。本作のパラレルワールドは第二次世界大戦で日本が降伏せずに戦争が続いていたら?という世界が描かれており、その世界では未だに戦争は起こっているし日本と戦争は密接に結びついている。僕は実際に戦争というものを体験したことはないので想像しかできないし、村上龍も年齢的に戦争を体験している人ではないはずなのだがそこにあるように描く力というのはなんなのだろう。

戦争を知らずに僕は生まれてこれから先も戦争を知らずに生きていきたいし、子どもたちにも戦争という体験をしてほしくない。この本をよむことで戦争というのはどういうものなのか?ということは僕には感じることはできなかった。生々しい描画ではあるが、戦争と日本を美化して書いているような気がしてあまり好きにはなれない。実際に戦争をするとなれば日本を好きにならなければ戦えないだろうし、日本という国で育っていくということを考え直さないといけないのだろう。日本を美化しているという感想を今は持ったが、そのときには別の感想を持つのだろうか。永遠にそんな時期が来ないことを祈りたいものだ。

よくある話の力はあなどれない – 不死症

読んだ。なんともない話なのになぜか一気に読んでしまった。

ざっくりした内容は噛まれると感染するゾンビから逃げながら助かる方法を探すっていうよくあるお話。爆発のショックで記憶を失っている主人公とか、手を前に出して襲ってくるゾンビとか、噛まれたらゾンビになってしまうとか、よくある設定がこれでもかと押し込まれた本作品なわけだが、ありきたりだからこそ理解しやすく読みやすいのかもしれない。感染症でゾンビになっていくというのはよくあるけど「ゾンビから心がこもったプレゼントを貰ったら感染する」とかいう独自の設定を盛り込まれるとそれを理解することに力を使ってしまうせいで話が頭に入ってきにくい。ありきたりな設定にはありきたりな設定なりのいいところがあるんだと思う。

ありきたりな設定でありきたりな動きをしてありきたりに動いていく主人公達だけどラストに向かって少しづつありきたりからずれていきながらわかりやすい落ちへと持っていく流れは非常に素晴らしく、ここが一気に読ませてしまう力となっているのかと思う。ゾンビが出てくる話は石を投げればぶつかるほど巷に溢れている中で売れる本というだけの力はあると思う。